漢字の現在

第254回 群馬の中学生と漢字

筆者:
2013年1月22日

水木しげるの描く一反木綿のような「エイ・フン」という字(第218回219回)についても取り上げてみた。大きくプリントアウトしていただいていたので、広い部屋で体育座りをして見上げる120人の男女の生徒さんたちにも、実物をよく見てもらえた。絵文字に慣れた子供たちからは「かわいい」と声が挙がる。前回記した「躾」という字よりも、こちらのほうがよほど残りそうな勢いだ。

このエイ・フンには正解など準備できていない。あるいは江戸の誰かの謎かけにはめられたか。象形文字と絵文字は共通点が高く、会意文字よりも一層今の日本人の心を捉えてしまう。

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ふだん使っているのは「ふんいき」か「ふいんき」かという語形についての問いには、両方の言い方が室内で交ざる。「雰」という字もまだ習っていない時期なのかもしれない。ふんいきのフンに早速、先ほどのエイ・フンの字を当ててくる生徒さんも現れる。まだ頭が柔らかい。何か言うと、「ア~」「ヘ~」「エ~」のほか、大学では珍しい「ワー!」という反応が来るのが新鮮だ。こうした中学2年生との交流は、とてもありがたい。

昼食を済ませた掃除の後で、眠くならないようにするのも使命だ。お忙しいのに先生方もおいでくださっている。

アクセントの話では「飴」を許容字体で手書きしてみる。「あめ(めが高い)」と読める。生活する中で、自然に覚えるものだ。「苺」も読める。これが漢字教育を超えた日常の文字生活で個々人の心内にある辞書に刷り込まれた結果であろう。理解字となっていれば、容易に使用字になる。

「躾」の読み方は?

 モデル
  ダイエット

これらは筆跡から女子と思われる。「絶対に笑う」と出し渋る女子たちもいる。友達と答えを揃えた女子たちもいた。

 ダイエッター

これは男子か。

「よろしく」はどうだろう。間違えて「宣」や「(宀に旦)(宀に旦)」などと書いてしまう人がいるのは、「宜しく」と国語で習うことはないので、無理もない。むしろ、中学生にしてこういう表外訓をなんとなく会得していることに気づかされる。「4649」「四六四九」という答えも出るので、江戸時代の滝沢馬琴も後者を書いていたと紹介してみる。「えー」、よく読書をしたり文学史などを学んだりしていないと、その背景も理解できず、面白さが感じられないはずだ。

「夜露死苦」は、暴走族が画数の多めでマイナスイメージをもつ漢字を選んで当てた代表的な当て字だ。この地でもこれが壁に落書きされるようなことは減っているそうだが、やはりあちこちで継承されていてこれが頭にこびりついて残っているようで、何人も書いてきた。

正しい文字・表記とはなにか、今は懸命に一つの答えに向けて勉強している最中だが、解答欄や辞書にあるものよりも位相的な当て字の方が印象深いことがあるという現実にも薄々感づいていくことかもしれない。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。