夏らしい字を1つ紹介しておこう。『法華三大部難字記』という漢和辞典を学生時代に大学の図書館で開いた。江戸時代初期、承応二年(1653)の奥書をもつ版本だが、よく見る漢字の他に、見かけない奇妙な字が並んでいる。川瀬一馬『古辞書の研究』では、その片仮名の異体などから室町時代のものをそのまま印行したものと推測されている。同書のほか影印の解題も述べているとおり、書名の如くに法華三大部やその音義書にあるのだろう、と思って智顗が著したいわゆる法華三大部六十巻、「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」なども調べてはみた。
しかし、それらには使われていない不可思議な字が、日本製漢字つまり国字を含めて、かなりその辞書に載っていることが分かった。仏教諸派や修験道で秘伝とされた類の祈祷法には、道教のそれに雰囲気の似た呪符がいくつもあるのだが、このようなものとも異なっている。この辞書の不思議な字は、JIS漢字の幽霊文字調査に際して、そのいくつかがいわゆる暗合同定作業にも貢献してくれた。
この書名には、仏書の経文には難しい字が多いという意識を反映しているのではなかろうか。より古い『塵添嚢抄(鈔)』に珍しい字として「」(コソクル)などが「摩訶止観」にあると記録されており、そうした難字の使用されているという漠とした意識から付された書名であろうか。もとはただの『難字記』という書名だったのかもしれない。しかし、どう見ても「難字」とはいえなそうな字も入っている。
その謎の辞書では、漢字が人偏や草冠などの部首に分類してあるのだが、既存の部首の中には編者が収めがたかった字が末尾に「雑部」として集められている。吹きだまりのようなそこには、怪しげな字が並ぶ。その中で、ひときわ怪しい「字」が、そこにある。
この形は、あの一反木綿? まさかの象形文字の国字か。しかし、当時は一反木綿もこのようには描かれていない。水木しげる氏がその妖怪の図像を漫画とアニメによって確定させ、世に広めるまで、少なくとも江戸時代には、まだああいう明確な姿を人々は持ちえていなかったようだ。柳田国男の『妖怪談義』にも、一反木綿は大隅高田地方の話として収められているが、その妖怪の記述に至っても、絵入りではなくて漠然としている。現代人が、この字を一反木綿のように見てしまうのは、水木しげる氏のキャラクター化の影響の大きさを表している。子供のころ、私はアニメで見ながら「板木綿」と意味と語形を理解していた。
いや、この辞書には、会意文字に見えるものであっても、漢字の字形が崩れただけの文字も相当数収められているくらいである。それは中古、中世、近世の辞書の記述的な性質とも重なる点がある。幸いにして、音訓のような注記が左右に示されているので、それを手がかりとして考察を試行してみたい。
漢字としては、まずエイと読めて、なんとなく似た雰囲気のある字をいくつか並べてみよう。仮名遣いの違いは、当時の表記法はあまり当てにならないので、ここでは捨象する。
などがある(作字困難なものは省いた)。どれも似ているように見えるが、違うような気もする。どう崩れても、ああはならないだろう。特に何かを投げ上げるかの両手のようなストロークは違例だ。この辞書には、音訓が別の字と混じて付されたものもかなり見られる。誤刻や意味不明のものも少なくない。編者が、似ている字の音訓を適当に施した可能性さえも考えられる。
もう一つの音ないし訓であるフンも、音読みだと仮定するとどうだろう。どことなくでも趣が似るのは、
分
くらいか。この字の直下の枠内に、「顯(顕)」の左側と「巻のような字(春の日が巳)」という、やはり一般的な漢和辞典に見当たらない字に「フン」が2か所に付記されているのは、関連があるのだろうか。エイ・フンからは、塋墳、墳塋という熟語も思いつく。墓を意味するものだが、考えすぎのようで、つながりうるだろうか。
実際には濁音のブンだった、とすると、
という字も辞書にあった。
ともあれ、エイとフンという音読みをともにもつ漢字はあっただろうか。「木」「魚」などの部首に入らないような字を収めるための「雑部」は、以前から『竜龕手鏡』や『倭玉篇』などにも設けられており、「凸」「亞」のさらに変わったような奇怪な字体なども収められていたが、さすがにこんな楷書のようでありながら下部にも怪しげな筆画を伴った文字はない。