えのころぐさ【狗児草・狗尾草】〔名〕イネ科の一年草。各地の空地や道端にきわめて普通に生える。高さ三〇~七〇センチメートル。葉は細長く、夏、茎の頂に多数の花を密につけた長さ六~九センチメートルの緑色の円柱形の穂を出し、先端は重みで傾く。花が小犬の尾に似ているのでこの名があるという。漢名、狗尾草。えのこぐさ。ねこじゃらし。えぬのこぐさ。学名はSetaria viridis 《季・秋》*撮壌集〔1454〕「狗尾草 ヱノコロクサ」*俳諧・曠野〔1689〕員外「臼をおこせばきりぎりす飛〈越人〉 ふく風にゑのころぐさのふらふらと〈同〉」*日本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「ヱノコログサ 狗尾草」方言 柳の花。猫柳の花。《えのころぐさ》長野県下水内郡470
「エノコログサ」というと「?」となるかもしれないが、「ネコジャラシ」といえば、「あああれか」と思う方も多いのではないだろうか。『日本国語大辞典』では「花が小犬の尾に似ているのでこの名があるという」と説明している。小型の国語辞書をみてみよう。
えのころぐさ【〈狗尾〉草】イネ科の一年草。各地の道端などに見られる。夏、犬の尾に似た緑色の穂を出す。ネコジャラシ。秋(『集英社国語辞典』第三版)
えのころぐさ【〈狗尾〉草】野原に自生する、いね科の一年生植物。高さ三〇~八〇センチ。夏から秋にかけて茎の先に犬(=えのころ)の尾のような緑色の花穂を出す。ネコジャラシ。(『岩波国語辞典』第七版新版)
えのころぐさ[(:狗尾=草)]ヱノコロ―(名)〔えのころ=犬ころ〕〘植〙道ばたに はえる、イネの仲間の雑草。子犬の しっぽに似た穂(ホ)をつける。ねこじゃらし。(『三省堂国語辞典』第七版)
『岩波国語辞典』の語釈中には「犬(=えのころ)」、『三省堂国語辞典』の語釈中には「えのころ=犬ころ」と記されている。しかし、『日本国語大辞典』には次のような見出しがある。
えのこ【犬子・犬児・狗】〔名〕犬の子。小犬。いぬころ。えのころ。えのこいぬ。*平家物語〔13C前〕一二・六代「白いゑのこの走り出でたるをとらんとて」*春日社記録-中臣祐春記・正応二年〔1289〕正月一一日「此死犬はえのこ也」*仮名草子・可笑記〔1642〕序「よしあし難波入江のもしほ草、かきあつべたる海士のすさび、猿猴が月を望み、ゑのこが塊(つぶて)を追ふに似たり」方言 柳の花。猫柳の花。《えのこ》山形県西置賜郡・最上郡139
えのこぐさ【狗児草・狗尾草】〔名〕「えのころぐさ(狗児草)」に同じ。《季・秋》*観智院本類聚名義抄〔1241〕「㺃尾草 ヱノコグサ」*夫木和歌抄〔1310頃〕二八「ゑのこ草おのがころころほに出でて秋おく露のたまやどるらん〈藤原為家〉」*狂歌・徳和歌後万載集〔1785〕七「孫をかふよりの譬もはづかしくみ墓にしげるゑのこ草哉」
いぬころ【犬児・狗子】〔名〕犬の子。子犬。いぬっころ。えのころ。*雑俳・柳多留-五八〔1811〕「犬ころをちょっと蹴て行八つ下り」*随筆・嬉遊笑覧〔1830〕一二「狗を犬ころといふ犬子等(イヌコロ)なり、また子等が犬を呼にころころといふ子等来なり」*土〔1910〕〈長塚節〉一四「朝鮮牛が大分輸入されたが、狗(イヌ)ころの様な身体で割合に不廉(たか)いから」語誌(1)共通語ではイヌッコロと、促音化して発音されることが多い。(2)語構成は「犬+子(児)+接尾語ラの変化したもの」と思われ、子犬のことをコロという地方(茨城・千葉・神奈川・長野・三重・奈良など)では、「猪のころ」や「鹿のころ」のように動物の子を言い表わすのにコロを語末に付けている。このコロは挙例の「随筆・嬉遊笑覧」に見られるように、犬を呼び寄せる際の掛け声としても使われた。(略)
室町時代頃には成っていたと考えられている辞書、『節用集』(堺本)をみると、漢字列「狗子」の右側に「エノコ」と振仮名が施されている。「エノコ」は〈犬〉ではなくて、〈犬の子〉と考えるべきであろう。そうであるとすれば、「エノコロ」は「エノコ・ロ」と分解されることになる。この場合、「ロ」は接尾語的なものとみることになる。『岩波国語辞典』は「エノコロ」全体を〈犬〉とみている。「えのころ=犬ころ」と記していることからすれば、『三省堂国語辞典』は「エノコロ」の「コロ」と「イヌコロ」の「コロ」とを重ね合わせているように思われる。「エノコロ」の「コロ」と「イヌコロ」の「コロ」とがそのまま重なるとすれば、「エノ=イヌ」ということになるが、そのような語形変化が想定できるか、ということになる。「エ」が「イ」に変わり、「ノ」が「ヌ」に変わるのはともに母音交替ということで説明できなくはない。しかし、二音節語の二音節とも音が変わるのは自然とはいいにくいかもしれない。
「エノコグサ」という語が確実にあったことからすれば、「エノコ」に「ロ」が加わったとみるのが自然で、その「エノコ」が〈犬〉か〈犬の子〉か、ということになるが、右にあげた『日本国語大辞典』の記事からすれば、やはり〈犬の子〉とみるべきだろう。
「イヌノコ」から「エノコ」への「道筋」は、例えば「イヌノコ」→「インノコ」→「イノコ」→「エノコ」のようなものだっただろうか。「ヰノコ」といえば〈猪〉であるが、語頭の「イ」と「ヰ」とは12世紀頃には区別をなくしていたので、それ以前であれば、「イノコ」は〈犬〉、「ヰノコ」は〈猪〉と発音上も区別できるが、それ以降はできない。(「ヰ」はワ行のイであるが、現在発音すれば、「イ」も「ヰ」も同じ発音をするしかない。)こんなことが〈犬〉の「イノコ」を「エノコ」へと変化させたということも考えてみたが、はたしてどうだろうか。語はとかく「他人」に気を使うものだ。