『日本国語大辞典』をよむ

第48回 消えていく意味

筆者:
2018年12月2日

『日本国語大辞典』で見出し「あいあいがさ」を調べてみると次のように記されている。

あいあいがさ【相合傘】〔名〕(1)一本の傘を二人でさすこと。多くは男女の場合にいう。もあいがさ。あいがさ。*浄瑠璃・津国女夫池〔1721〕千畳敷「君と淀とが、相合笠の袖と袖」*滑稽本・浮世風呂〔1809~13〕四・上「夫婦とおぼしき者、相合傘(アヒヤイガサ)で、しかも欣然として通る」*千曲川のスケッチ〔1912〕〈島崎藤村〉三・山荘「お二人で一本だ、相合傘といふやつはナカナカ意気なものですから」(2)恋仲の男女をいいはやす落書き。傘の略画の左右に男女の名を並べて書く。*俳諧・俳諧通言〔1807〕書体「相合傘(アイヤイガサ)是は落書にて女郎芸子の色男と二人りの名を仇書にして傍輩の芸子女郎色事をそやすなり」*虞美人草〔1907〕〈夏目漱石〉一四「撫でて通る電信柱に白い模様が見えた。すかす眸(ひとみ)を不審と据ゑると白墨の相々傘(アヒアヒガサ)が映る」*すみだ川〔1909〕〈永井荷風〉二「皆(みん)なから近所の板塀や土蔵の壁に相々傘(アヒアヒガサ)をかかれて囃(はや)された」

島崎藤村の『千曲川のスケッチ』は中学生の頃に文庫で読んだ記憶があるが、「相合傘」という語が使われていたのだ、などと思ったりもする。この「アイアイガサ(相合傘)」は現代でも使われる語であろうが、「アイアイ」が子供の頃にはよくわからなかった。『日本国語大辞典』には見出し「あいあい」もある。

あいあい【相合・相相】〔名〕(形動)(「あいやい」とも)(1)ものごとを一緒にすること。二人または、それ以上で一つのものを所有すること。あるいはまた、そのようなさま。一緒。共同。共有。(2)転じて、互いに勝ち負けのないこと。あいこ。

つまり「ものごとを一緒にすること」「二人または、それ以上で一つのものを所有すること」という語義をもつ「アイアイ」という語があって、共有されているモノが「カサ(傘)」であるのが「アイアイガサ」ということだ。『日本国語大辞典』をみると、さまざまな「アイアイ」がある。

あいあいあんどう【相合行灯】〔名〕二軒で共用する行灯(あんどん)。

あいあいいど【相合井戸】〔名〕近所の者が共同で使う井戸。

あいあいうし【相合牛】〔名〕二人以上で共同使用する牛。

あいあいかご【相合駕籠】〔名〕二人が一つの駕籠に相乗りすること。また、その駕籠。多くは男女の場合にいう。あいかご。

あいあいギセル【相合煙管】〔名〕(キセルは{カンボジア}khsier)男女二人で一本のキセルを共用すること。

あいあいごたつ【相合炬燵】〔名〕一つの炬燵に二人であたること。また、その炬燵。

あいあいすずり【相合硯】〔名〕一つの硯を二人で用いること。また、その硯。

あいあいばかま【相合袴】【一】〔名〕二人で一つの袴をはくこと。また、その袴。*歌舞伎・四天王産湯玉川〔1818〕二番目「取わけ媒人(なかうど)があいあい袴でもあるまいと」*歌舞伎・神有月色世話事(縁結び)〔1862〕「猿楽師の伝之丞、相々袴(アヒアヒバカマ)の末掛けて、とっけっこうな鶏聟(にはとりむこ)」【二】狂言。聟(むこ)狂言の一つで万治三年(一六六〇)刊の「狂言記」に見られる曲目。大蔵(おおくら)・和泉(いずみ)・鷺(さぎ)三流では「二人袴(ふたりばかま)」、「天正狂言本」では「はかまさき」。三流と天正本では、袴が前後に二分されるが、「狂言記」では、袴を裂かないで一つの袴に二人が片足ずつを入れる。

「男女が」という「アイアイ」もあれば、それには限らない「アイアイ」もある。「アイアイバカマ」など、「どうした?」という感じかもしれないが、狂言の曲目にあるということのようだ。小学校の習字の時間に、道具を忘れて、隣の席の子の硯を借りたことがあったような気がするが、「今日はあいあい硯でお願いします」と頼めばよかったのだ。上のような、いろいろな「アイアイ~」が使われていれば、「アイアイガサ」の「アイアイ」もわかりやすだろうが、現在ではおそらく「アイアイガサ」という語にのみ、「アイアイ」が使われているのでわかりにくい。

それだけではないように思う。『日本国語大辞典』の見出し「あい」には次のようにある。

あい【合・会・相】【一】〔名〕(動詞「あう」の連用形の名詞化)あうこと。また、動作を共にしたり、相互に関係をもったりする意を表わす。〔一〕あうこと。会合。対面。〔二〕人と行動を共にしたり、相手をしたりすること。(1)二人で向かい合って、互いに声をかけながら槌(つち)で物を打つこと。あいづち。(2)共謀すること。また、その仲間。同類。ぐる。(3)相手。また、相手をすること。(4)あいこ。あいうち。(5)掏摸(すり)をいう隠語。あいてやし。あいちゃん。〔日本隠語集{1892}〕(6)合い鍵や鍵をいう、盗人仲間の隠語。あいす。〔特殊語百科辞典{1931}〕(7)あいくち、刃物の類をいう、盗人仲間の隠語。〔隠語輯覧{1915}〕【二】〔接頭〕〔一〕動詞の上に付く。(1)ともに関係することを表わす。(イ)ともに。ともどもに。いっしょに。(ロ)向かい合った関係にあるさま。互いに。(2)語調を整えたり、語勢を添えたりする。改まった言い方として、近代では手紙などに用いる。〔二〕名詞の上に付く。(1)同じ関係にある間柄。「相弟子」「相番」「相嫁」など。(2)互いに向かい合った関係。「相対」「相たがい」「相四つ」など。(略)

【二】接頭語としての「アイ」には(1)(イ)〈ともに〉、(ロ)〈互いに〉という語義があるが、こういう「アイ」も現代日本語には必ずしも多くはなくなっているのではないか。例えば「アイアウ(相会)」という言葉は〈互いに会う〉ということだが、「アウ(会)」はもともとAとBという2つの要素が必要なので、〈互いに〉はわざわざ言う必要がないともいえる。そうなると「アイアウ(相会)」の「アイ(相)」の語義は次第に消えていく。それが「アイ」の語義【二】(2)で、「語調を整えたり、語勢を添えたりする」というとわかりにくいが、積極的に語義を示すことがうすくなり、形式化していくということだ。

「消えていく語」は注目されやすいが、複合語の語義が次第に単純化していくという現象は気がつきにくいかもしれない。それが「消えていく意味」だ。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。