『日本国語大辞典』をよむ

第46回 絹ごし豆腐とアイスクリーム

筆者:
2018年11月4日

「モメンモメン(木綿木綿)」がしゃれ、というと「ゴメンゴメン」とかけたか、と思われる方がいるかもしれないが、さにあらず。『日本国語大辞典』には次のように記されている。

もめんもめん【木綿木綿】〔名〕(「後朝(きぬぎぬ)」を「絹絹」に掛け、それより下等なものとしゃれた語)卑娼などの後朝をいう。*雑俳・柳多留拾遺〔1801〕巻七「とめ女もめんもめんのわかれなり」

語釈中の「卑娼」は「ヒショウ」と発音する語であろうが、この語は見出しとなっていない。そして語釈中で使われているのもこの箇所のみである。が、漢字からだいたいの語義はわかると思われるので、説明は省かせていただくことにする。さて、それはそれとして、「キヌギヌ」という語がわかっていないとこのしゃれは成り立たない。

きぬぎぬ【衣衣・後朝】〔名〕(「衣(きぬ)」を重ねた語で、それぞれの衣服の意)(1)男女が共寝をして、ふたりの衣を重ねてかけて寝たのが、翌朝別れる時それぞれ自分の衣をとって身につけた、その互いの衣。衣が、共寝のあとの離別の象徴となっている。*古今和歌集〔905~914〕恋三・六三七「しののめのほがらほがらとあけゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき〈よみ人しらず〉」*宇津保物語〔970~999頃〕国譲上「きぬぎぬのぬれてわかれししののめぞ明くる夜ごとに思ひでらるる」*源氏物語〔1001~14頃〕浮舟「風の音もいとあらましく霜ふかきあか月にをのがきぬぎぬもひややかになりたる心地して」(2)男女が共寝して過ごした翌朝。またその朝の別れ。きぬぎぬの別れ。こうちょう。ごちょう。*新勅撰和歌集〔1235〕恋三・七九一「後朝の心をきぬぎぬになるともきかぬとりだにもあけゆくほどぞこゑもおしまぬ〈源通親〉」*連理秘抄〔1349〕「別れに衣々、涙に袖ぬるる」*菟玖波集〔1356〕夏「きぬぎぬならぬ暁もなし 槇の戸をさぞな水鶏の音づれて〈藤原家隆〉」*御伽草子・和泉式部〔室町末〕「彼女房情深きにより、内にさし入りて、其夜は鴛鴦の衾の下に比翼の契をこめ、夜もやうやうふけ、きぬぎぬなりし折しも」*仮名草子・恨の介〔1609~17頃〕下「はやきぬぎぬの袖なれば、互に名残のおしやられて哀なり」*俳諧・曠野〔1689〕員外「きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに〈芭蕉〉風ひきたまふ声のうつくし〈越人〉」*艷魔伝〔1891〕〈幸田露伴〉「後朝(キヌギヌ)に未練を引せる睡そうなあどけない眼」(3)男女が別れること。離縁。*狂言記・箕被〔1700〕「此ごとくに、きぬぎぬに成とても、互にあきあかれぬ中ぢゃ程に、近ひ所を通らしますならば、必ず寄らしませ」*俳諧・桃の白実〔1788〕「尼に成べき宵のきぬぎぬ〈路通〉」(4)転じて、別々になること。はなればなれになること。*浮世草子・武道伝来記〔1687〕三・四「首と胴とのきぬぎぬさあ只今返事は返事はと」

なかなか味わい深い語であることがわかるが、「キヌギヌノワカレ」は結局「ワカレ」だから、そちらに語義の焦点が移ると、語義(3)(4)がうまれることになる。語義の焦点が移るということについていえば、「ベントウ」がそうした好例だ。

べんとう【弁当・辨当・便当】〔名〕(1)(形動)便利なこと。重宝なこと。都合がよいこと。また、そのさま。便道。(2)外出先で食事するため、器物に入れて持ち歩く食物。また、それを入れる器物。行厨(こうちゅう)。(3)外出先で仕出し屋などから取り寄せて食べる食事。→仕出弁当。(4)(形動)豊かなこと。裕福なこと。充足していること。また、そのさま。便道。↔不弁。(5)芝居で、場あたりのせりふ。転じて、おまけの添えことば。語誌(1)今日、一般的である(2)の意は、その由来を中国の南宋ごろの俗語「便当」に求めることができる。日本でも、(1)に挙げたように「便利なこと」の意で中世の抄物などに用いられている。「便利なこと→便利なもの→携行食」といった意味の変化によって(2)が生じたと考えられる。(略)

「語誌」欄の説明に尽きるが、〈便利なこと〉という語義が、〈便利なもの〉に焦点を移し、現在では、その便利に食べる物が「ベントウ(弁当)」と呼ばれるようになっている。

さて、「キヌギヌ」がわかると、絹ごし豆腐と木綿豆腐ということになるが、これは現在でもあるのでわかるだろう。そして絹ごし豆腐の方が口触りが滑らかだから「高級」だという感覚は現在と変わらなかったのだろう。「キヌギヌノワカレ」というと何となく王朝風だが、そんな優雅なものじゃない、というところから「モメンモメン」というしゃれがうまれた。と、しゃれを説明するのは野暮の極みだが、ことばにかかわるしゃれにはだいたい「前提」があって、それを理解していないと笑うこともできない、ということが少なくない。さてそれでは、明治のしゃれのようなものだが、明治期の文献を読んでいると、高利貸しをアイスという場面がでてくる。その心は?

アイス〔名〕({英}ice)(1)氷。他の語と複合して用いられる。「アイスコーヒー」(2)「アイスクリーム」の略。「三色アイス」*丸善と三越〔1920〕〈寺田寅彦〉「此処で汁粉かアイス一杯でも振舞ふと」(3)高利貸し。アイスクリームの訳語「氷菓子」と音が相通じるところから生じたしゃれで、明治時代の学生用語。*金色夜叉〔1897~98〕〈尾崎紅葉〉中・一「此奴が〈略〉我々の一世紀前に鳴した高利貸(アイス)で」*俳諧師〔1908〕〈高浜虚子〉二六「アイスの方は今いくら位ある。それっきりか」

語義(3)ですが、「コオリガシ(氷菓子)」との「かけことば」だったのですね。「しゃれ」にも奥深いものがある。『日本国語大辞典』にはこうしたしゃれもたくさん載せられているので、また別の回にもそうしたものを採りあげることにしたい。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。