中国では、教師という職業のことを、「先生」(xian1sheng シエンション)とは呼ばなくなった。一般に「老師」(lao3shi1 ラオシー)と称している。たとえ20代の若い教師であっても、何の抵抗も感じないのだそうだ。日本人は「老」の一つの意味を過敏に解しているのであろう。
中国では、「魯迅先生」のように「先生」を敬称として用いることがある一方で、「Mr.」や「さん」に相当する、男性への軽い敬称として応用している。「先生」は、自分より若くても、尊敬するかのニュアンスをもつ便利なことばだそうで、見知らぬ男性にも「先生!」と呼びかけられる。「ladies and gentlemen」は「女士們,先生們」となっている(なお、日本や韓国では「紳士、淑女の皆様」という訳が消滅しつつある)。また、他者や自分の夫、さらに占い師のことを「先生」と称することもあり、かつては妓女を指すことさえもあった。
日本では、「先生」と呼ばれる職種が各種あり、政治家、弁護士、医者、教員、芸術家、作家などが思い付く。先に生まれた人が原義と考えられ、「後生畏るべし」の「後生」(コウセイ)の対である。そこから、学芸の優れた人を指す古代中国で生じた用法が、江戸時代以降、さらに拡大してきた結果であろう。教員と職員とを区別するかどうか、研究員にも使うかどうか組織によって異なるなど、実際の使用には微妙な要素も関わっている。
先生にもいろいろな人がいて、またいろいろな目で見られる。「センセイと呼ばれるほどの何とかでなし」とさえ言われる。このようにカタカナで「センセイ」と書かれると、語に対して期待される内実を伴っていないことが表明される。そして関西のアクセントで「セ」を高く呼ばれると、さらに妙なニュアンスを感じるのは、東京生まれ東京育ちにありがちなことのようだ。
日本では、それらの職にある人に呼びかける際に、「先生!」と言える。中国でも上記の通り呼びかけに用いることが可能だ。ところが、「学生」(第17回)とは逆に、韓国では「先生(ソンセン)!」とは言えないのだそうだ(*1)。「さま」に当たる敬称「님 ニム」を付加することを要するのだ。韓国では、教員同士での会話を除き、「先生(ソンセン)ニム」つまり「先生さま」と呼んで、初めて教員や老人男性などに対する敬称として使える(高校までの先生には通常は「○○氏」(シ)を使うとのこと)。「○○先生」だけでは敬意が感じられず、むしろ呼び捨てされているようにさえ感じられるという。日本では、宛名に「○○先生様」なんて書かれていると、妙な語感を感じ取ってしまう。そして大学の先生を、何と「教授さま」(キョスニム)と呼ぶのだそうだ。
ベトナムでは、「先生」は「tiên sinh」(ティエンシン)という発音で残っており、現在もっぱら教員のことを指すのだそうだ。他の漢越語では「教員」(giáo viên ジアオヴィエン)ともいう。「先生」という語は、長男、尊敬する人や目上の者を指すこともあり、彼らに対して呼びかける際に用いることも、なくはない。ただ、それは漢字や字喃(チュノム)を解するお年寄りが詩を作ったり、挨拶したりするときに時々使うくらいで、若い人たちは冗談として使う程度だそうだ。
漢字圏で「先生」は、「先」に「生」まれたという個々の字義が忘れられ、一まとまりの語義を抱えて微妙な変転を繰り返してきた。中国から拡散した漢字と漢語は、周辺の地での言語や社会の状況に合わせていくつもの変種を生んだのだ。「先生」と安易に呼んでおけば相手に喜ばれる、とは限らない。
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