中学生か高校生のころ、区立図書館で自分の身分を用紙に記入する時に、欄にある「学生」を○で囲みながら、何か得意に感じると同時に、後ろめたさのようなものが残った。高校生も「学生」の範疇に含むことが一般にはある。「学生証」を持ち、「学生服」を着ているものの、現実にはまだ大学生ではないことに悔しい思いさえ抱いた覚えがある。
日本では、教育関係の法令で、幼稚園児は「幼児」、小学生は「児童」、中学・高校生は「生徒」、大学生(高専などを含む)は「学生」と、それぞれに呼称が定められている。明治初期においては、小学生から大学生までを「student」などの訳語として「生徒」と称したこともあった。さらに学制以前に溯れば、種々の教育機関で学ぶ者を「學生」と書いて「ガクショウ」(ガクシヤウ・ガクソウ)と呼んでいた。
韓国では、電車内で手持ちぶさたそうなおばさんに、ニコニコしながら「學生(ハクセン)!」と大きな声で呼びかけられたことがあった。初めての外国旅行を友人としていた20歳になったばかりのころのことだが、「学生」だけで人を呼べることに、新鮮な驚きを感じた。日本では、「学生」だけだと落ち着かず、「学生さん!」とか「こら、そこの学生!」のように、何か付けないと使いにくい単語だ。韓国では、漢字語(ハンチャオ)である「学生」は、ハングルで「학생(ハクセン)」としか書かれないようになっているが、その語としては、大学生だけでなく、中・高生はもちろん、小学生に対しても使えるのだそうだ(むろん、「大学生」などの称もある)。
中国でも、「学生」(xue2sheng シュエション)は、同様に小学生から大学生まで広く使える語である。「学生」が、正式には大学生つまり原則として18歳以上に制限されている日本の現状は、むしろ漢字圏においては特異なことのようだ。
ベトナム(越南)でも、「学生」の語は「hc sinh ホクシン」という漢越語として残っており、対象としてはやはり小学生から使える語だそうだ。しかし、大学生になるやいなや、「生員」(sinh viên シンヴィエン)という語に代わる。これは、中国を模倣して科挙制度が実施されていたことを反映している語である。「院試」に合格して「郷試」の受験資格を得た者は伝統的に「秀才」と讃えられたが、その者たちを指していた。
以上のような漢字圏の「学生」の実情をまとめると、次のようになる。日本の細分化されたバラエティーの多さと、ベトナムの科挙の影響が際立っていて、それらが重なって、日越では「学生」の処遇に相補分布の様相を呈している。
日本 | 中国 | 韓国 | ベトナム | |
---|---|---|---|---|
小学生 | 児童 | 学生 | 学生 | 学生 |
中学生 | 生徒 | 学生 | 学生 | 学生 |
高校生 | 生徒 | 学生 | 学生 | 学生 |
大学生 | 学生 | 学生 | 学生 | 生員 |
大学内では、私よりも年配の方々が学生として勉学にいそしむ姿を見かけることがある。見習わなくては、と感じることもしばしばだ。ここのところ、学生と勘違いされることがさすがになくなった。学生時代には持っていたであろう何かをいつの間にか失ってしまったためだとしたら、そう思うと少し複雑な気持ちになる。