何年か前に、法制審議会で「人名用漢字」の追加に関わったときに、子供の名付けに使いたいのに認められなかった漢字について、全国の法務局から寄せられた要望の整理・集計に携わった。その際、いろいろな驚くべき現実に触れた。その一つが「妖」という漢字を、子の名に付けたいという複数の声であった。「妖」の字義には、大きく分けて「なまめく」と、「あやしい(もののけ)」の両義が辞書にあり、一見異様に感じられた(*1)。水木しげるなどで馴染みの「妖怪」は別として、「妖艶」な女性になってほしい、ということであろうか。
いや、それよりも、ヨーロッパの森にいるとされる「妖精」のような女の子に育ってほしい、との願いからなのだろう。ディズニーのアニメなどでも、ピーターパンに寄り添うティンカーベルのように、小さくてかわいらしい、羽が生えた精霊こそがその姿であるという印象を与える。それは舞台では、光で表現されることもあった。
かつてオリンピックで超人的な活躍を見せた、体操選手のナディア・コマネチは「ルーマニアの妖精」と喩えられた。西洋の伝説や様々なフェアリー(fairy)テイルの挿絵は、そのイメージ形成の一端をなしている。1916年から1920年にかけてイギリスで撮られたコティングリー妖精事件の写真に収められた、そうしたものによく似た少女のような、蝶のような妖精の姿は、深く印象に残るものである。ただし、古くケルトやラテンの物語に出てくる広い意味での妖精の中には、ニンフ(Nymph)の類とは全く異なり、人間よりも背の大きい男、ややグロテスクな容貌を持つ者、さらには竜や人魂さえも描かれているそうで、そのイメージは元は様々であったようだ。
日本では、古くは「妖精」の語を、後で述べるような妖怪変化(へんげ)という中国の意味のままで使った。やがて少女のような姿態のfairyという概念が欧米から入ってきたため、大正期ころには「妖精」の2字にそのイメージが伴われるようになり、その訳語のようにして使われるようになっていた。漢語としては「仙女」(せんじょ・せんにょ)も当てられたが、字面から滲み出るイメージがあまり相応しくないと意識されたのであろう。
韓国でも、「妖精」は「요정」(ヨジョン)として、日本語と同様の意味で使われている。ただし、韓国では、字音語であってもハングルでしか書かれなくなってきたため、留学生たちは「妖精」と「妖怪」(요괴 ヨゲ)とで、「요」が類似する意味を共有している成分であることに気付いていなかったという。漢字を用いなくなったことで、熟語は一まとまりの発音の連続としてしか、とらえられないようになってきており、漢語か固有語かという意識だけではなく、語源・語構成に関する知識も失われつつあるようだ。むしろ、日本語を学習して、はじめてこうしたことに気が付くともいう。
中国では、「妖精」は現在、yao1 jing(ヤオジン)と読み、日韓と異なり、化け物を意味する。比喩としては、男を色香で惑わす妖婦を指す(この喩えは清代には現れている)。日本語でいう愛人(第14回参照)のことを、そのように称することも起こっていた。これを日本人は手を叩いてうまい表現だと褒めるが、実際にはfairyのイメージによるというわけではなく、中国語にあった男を惑わす性情をもつ美人をイメージさせる用法なのだそうだ。『西遊記』に出るような妖怪の女性版が「妖精」だ、と認識している中国からの留学生もいる。「妖精」は中国では古く、流星を指すことばであり、後に意味が変転をくりかえしきた。ただし、少女のような姿のfairyに当てることは、近年になってやっと現れてきたもののようで、それらにはむしろ「仙女」「小仙子」などを用いているのだそうだ。
中国語からの影響が色濃く残るベトナム語では、「妖精」という語は「yêu tinh」(イエウティン)という漢語(漢越語)として残っており、中国と同様に「妖怪」「妖魔」と類義語で、人に危害を加える、変な姿をした想像上の存在で、ひどく嫌な女性のことも指すのだそうだ(*2)。
野山に隠れた「妖精」の姿は、洋の東西を問わず、今も昔も定まらない。とらえようとすると逃げてしまうもののようだが、日本では2ちゃんねる辺りではメタファーとして新たに妙な語義も生じているらしい。さらに、「妖」が人名で使用できるようになったことを受けて、本当の「妖精」ちゃんが、どこかの幼稚園辺りに現れているのかもしれない。
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