中国や韓国などからやってきた留学生の人たちと話していると、漢字についても面白い事実をたくさん聞くことができる。その一つとして、今月上梓した小著(*1)に盛り込まなかった話を書いてみよう。
「愛する人」と書く「愛人」という熟語の意味は、日中の「同形語」のうちでも、日本語と中国語とで意味が違う例としてよく取り上げられるものである。中国大陸で使われている中国語では、通常、「愛人」(アイレン ai4ren 字体は実際には簡体字)といえば、「正式な配偶者」を指す。これを中国語というものが明確な表現を好む実例として扱うこともある。この用法は、清朝滅亡以降に生じたもので、毛沢東が広めたものとも伝えられている。
一方、日本語では「愛人」というと、社会道徳に合わない交際対象を指し、一般にどこか淫靡な響きさえも感じられかねないようだ。以前、上映されて話題となった「ラマン 愛人」(L’ Amant)のようなイメージが強く意識されてしまうようで、「「愛人」と結婚することになった」と正直に言われると、披露宴などでのスピーチも考えてしまうといった反応も生じかねない。
中国語では、「「愛人」と結婚することになった」という意味の文は、先に述べたように、普通、「愛人」がすでに結婚している配偶者を指すため、そもそも成り立たない。
実は、韓国においても「愛人」(エーイン 表記はハングルで애인が多い)という漢語がある。それは実は「恋人」というくらいの意味で一般に使われている。つまり、「「愛人」と結婚することになった」と、韓国語で宣言すれば、順当な結果として皆から祝福されるそうだ。
このように漢字圏で、「愛人」は意味が3段階も入り組んでいるのである。外国語が喋れなくても筆談ならばできるものだ、などと思い込んで、他者について安易に紹介しようとすれば、あらぬ誤解を生み出しかねない。
同じように漢字を使用していた三か国で、なぜこのような差が生じたのであろうか。漢籍にさかのぼれば、「愛人」は「人を愛する、いつくしむ、いとおしむ」といった意で、古くより存在した語であった。日本でも、福沢諭吉は、著作で「愛人」を用いているほか、中村正直は「敬天愛人」として用い、その四字熟語を書名にも採り入れたほか、西郷隆盛もそれを信条とした。
それと相前後して、幕末から「愛人」は、「honey」「lovers」「sweet-heart」などの翻訳語として、恋人や社会的に容認されにくい関係にある相手を指すようにもなり、さらにその「愛人」の語は、戦後に「情婦」「情夫」の婉曲的表現として広まったという(『日本国語大辞典』第2版)。
そうだとすると、韓国語には、戦前辺りの段階で日本での一つの意味が伝播し、定着をみたという可能性が考えられる。韓国では、1960年代の辞書にも恋人の意が収められているが、実際の歴史はどうだったのであろうか(近年の『日本語套(式)用語醇化資料集』には出ていない)。中国にも、愛すべき人としての古い使用例があるほか、民国成立後より恋愛対象を指す用法も見られたのだが、三者の影響関係はなお明確にはしがたい。ただ、台湾などでは中国語の中であっても、日本語と同じ意味で「愛人」の語が使われているのだそうだ。確かに、テレサテン(鄧麗君)が歌っていた中国語の曲でも、「愛人」は日本語と同様の意味で出てくることがあった。これは、やはり日本から伝播したものであろう。
近年、中国大陸においても、日本語の「愛人」という熟語とその語義がテレビドラマなどを通じて知られるようになってきたそうだ。その影響もあって、中国大陸の一部では配偶者について「愛人」と称することを避ける傾向も生じているのだという。日本語の「愛人」の力は相当のもののようだ。
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