中華料理は、世界でも有数の美食とされるが、その中でも「食は広東に在り」というように、中国の南部の香港辺りから各地に伝わった広東(カントン)料理は異彩を放っている。その料理の一つに、「チャプスイ」と呼ばれるものがあり、日本でもよく知られるようになってきた。豚肉、野菜などを混ぜて炒め、片栗粉でとろみをつけて煮た、八宝菜に似たものである。これは、清朝末期ころにアメリカで改良されたものともいわれ、英語にもchop sueyというスペルで採り入れられている。
日本では中華料理はもちろん、世界中の食が楽しめるが、韓国料理もすっかり定着してきた。タレに漬けて食べる焼き肉など、日本独特の発展をみたものもあるが、「チャプチェ」という春雨に牛肉や野菜を混ぜて炒めた韓国料理も人気がある。
さて、ここに「チャプスイ」と「チャプチェ」という二つのアジアの料理の名前を出してみた。これらの「チャプ」とは、いったい何なのだろうか。実は、それぞれが同じ漢字で書かれる語なのであった。
広東語のチャプスイは「雑砕」、韓国語のチャプチェは「雑菜」である。香港と韓国は、漢字については正式には、いわゆる康煕字典体(日本でいう旧字体に近い)を用いつづけているので、それぞれ「雜碎」、「雜菜」(草冠やノツの部分は今は措(お)く)と書くことになる。ともあれ、「チャプ」とはいずれも「雑」という漢字の発音、音読みであったのだ。
そういえば、日本でも「雑煮」(ぞうに)という食べ物が正月に出る。素材が混ざりあった食べ物のことを「雑」という字で表しているわけだ。また、「雑炊」(ゾウスイ)もあるが、これは元をたどると、文字通り「増水」(ゾウスイ)と書かれる語であった。「増(ゾウ)」と「雑」という二つの漢字には発音にも差があったはずだが、江戸時代のころには同じ発音にすっかり変わっており、さらに仮名遣い(後述)の違いを超えて、「雑炊」と書かれるようになったのである。このように「雑炊」という表記は、当て字であったわけだが、やはり食材が混ざっていることをうまく表したものといえる。
日本語でも、字音仮名遣いでは、かつて「雑」の字は「ゾフ」(呉音)、「サフ」(漢音)であり、そこから派生した「ザフ」は日本独自の慣用音であった(呉音をザフとする説もある)。「雑だ」というばあいの「ザツ」はより馴染み深いものだが、実はその「ザフ」がさらに訛った発音なのである。中古音、つまり、隋・唐時代前後の中国語での発音では、この漢字の発音は、「dzəp」のようであったと推定されている。
このような中国で古く行われていた発音が、漢字圏の周辺部の人びとの耳へと伝わって、そこでの種々の言語に取り込まれて残っているのである。ベトナム語でも、この字に由来する「tạp」(タプ)という発音がやはり残っている。かえって、中国の北京や長安では、このような音は変化を続けていき、ついに「p」音は他の「t」「k」という音(入声(にっしょう))とともに消滅したのである(第10回 「「節」の広がり」参照)。
つまり、この末尾の「p」は、現代の中国語の普通話(プートンホア)やその土台となっている北京語では、早くに失われてしまった発音である。「雑燴」で、ごった煮、五目煮を表す語があるが、「za2hui4 ザーホイ」のように「雑」は「ザー」とだけ発音する。字体も、大陸の簡体字では「」と簡略化されている。
「雑」の古い字体を維持する韓国でも、「チャプチェ」は、「잡채」とハングルで書かれるのが当たり前となっているようだ。韓国では、もはや漢字でこの食品の名が書かれることはあまりないのであろうが、漢字の古い発音は保たれていくことであろう。