日本語・教育・語彙

第21回 ことばの時事問題(8):テスト改革の功罪は波及効果も含めた冷静な議論を(その1)

筆者:
2023年2月3日

東京都の高校入試への英語スピーキングテストの導入が社会問題になっている。東京都教育委員会(都教委)がベネッセコーポレーションと実施した、中学校英語スピーキングテスト「ESAT-J」である。話す力の到達度を測るもので、2022年11月27日に実施された。これに対し、多くの問題点が試験実施前から指摘され、試験実施後も批判が続いている。確かに問題だらけのテストだったように思えるのだが、メディアに見る議論を見ていて、試験にスピーキングを入れること(入れないこと)による「波及効果」(テストの実施/不実施が社会に与える影響)の議論が少ないことが非常に気になる。波及効果の問題を無視して、都教委をつるし上げているだけでは建設的な議論ができない。この点について、2回に分けて書きたい。

 

「ESAT-J」は、ヘッドホンとタブレット端末を使い15分間で8問に解答し音声を録音するというものである。英文読み上げや英語で意見を述べる問題だったようだ(令和4年度 中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)実施要項)。

これに対して、試験実施前からさまざまな実施反対の声があった。代表的なのは、大津由紀雄、阿部公彦、鳥飼玖美子・南風原朝和、羽藤由美の5氏による反対の記者会見である(石田, 2022)。そこで論じられたのは、1)不公平な入試になる可能性が高い、2)円滑な試験運営ができない可能性が高い、の2点だったようだ。より具体的には、国公私立中からの受験者に不受験の選択肢があり、やむを得ない理由で受験できない受験者もおり、不受験の場合に推定得点が利用されるため、実力より高く評価されたり低く評価されたりすることもあるといった批判である。受験中の不測の事態に対して直前にアルバイトで雇われたような監督者が寄り添えるかといった不安も指摘されている。週刊文春も記事の中で、採点の不公平性、地域格差、経済格差、ベネッセが約5億円でESAT-Jの運営を受注した背景、ベネッセによる運営で懸念される問題などを指摘している(週刊文春編集部、2022年10月1日)。大津由紀雄氏は、ウェブ上のコラムの中で、ベネッセによるGTECという(一部の学校で実施されている)試験との類似性を指摘し、利益相反、あるいは受験者の不公平感の問題を指摘している(大津, 2022)。採点に関しては、受験生の音声データをフィリピンに送って採点するが、誰が、何人で、どのように採点するか、明確な説明がないといった疑問も寄せられている(沢田, 2022)。

これらの点のいくつかは都議会でも取り上げられ、試験結果の入試利用の中止を求める意見も出された(令和四年東京都議会会議録第十二号、アオヤギ有希子氏の質問)。

さまざまな問題点を指摘されながらも試験は予定通り実施され、試験実施後にもさまざまな問題が指摘された。ある記事は、大規模な情報漏洩の過去があるベネッセに、障害にまつわる情報が顔写真付きで収集されることへの不安、ベネッセの委託先が何社あり、どのような企業なのかは、保護者には明かされていない点、経験不問で集められた「一日バイト」の試験官がみなセンシティブな情報を適切に扱うだろうかといった不安も指摘されていた(黒坂, 2022)。補聴器を利用する生徒も、今回の特別措置の手続きに悩まされたらしく、『合理的配慮』を非常に軽く考えているという海津敦子氏の指摘(黒坂, 2022)は重い。ほかにも、「イヤーマフをつけてもほかの人の声が聞こえた」前後半の2回に分けて行われたテストで、「前半の受験生の声が別の部屋で待機していた後半の人に聞こえた」「近くの人の声が誤って録音された」(NHK News Web)、may have been という未習項目が出題された(黒坂, 2023)、などの問題点が数多く報道された。

 

こうしてみると、確かに問題だらけのテストだったのであろう。拙速な試験結果の利用は中止すべきだったかもしれない。この点については、私自身は、現時点では明確な意見を持てない。しかし、試験にスピーキングを入れること(入れないこと)による「波及効果」の議論が少ないことが非常に気になっている。

(次回へ続く)

筆者プロフィール

松下 達彦 ( まつした・たつひこ)

国立国語研究所教授。PhD
研究分野は応用言語学・日本語教育・グローバル教育。
第二言語としての日本語の語彙学習・語彙教育、語彙習得への母語の影響、言語教育プログラムの諸問題の研究とその応用、日本の国際化と多言語・多文化化にともなう諸問題について関心を持つ。
共著に『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』(凡人社 2007)、『日本語学習・生活ハンドブック』(文化庁 2009)、共訳に『学習者オートノミー―日本語教育と外国語教育の未来のために』(ひつじ書房 2011)などがある。
URL:http://www17408ui.sakura.ne.jp/tatsum/
上記サイトでは、文章の語彙や漢字の頻度レベルを分析する「日本語テキスト語彙分析器 J-LEX」や、語彙や漢字の学習・教育に役立つ「日本語を読むための語彙データベース」「現代日本語文字データベース」「日本語学術共通語彙リスト」「日本語文芸語彙リスト」などを公開している。

『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』

編集部から

第二言語としての日本語を学習・教育する方たちを支える松下達彦先生から、日本語教育全般のことや、語彙学習のこと、学習を支えるツール……などなど、様々にお書きいただきます。
公開は不定期の金曜日を予定しております。