「猛禽」が語であることは,普通女子たちの告発の効果に,どのように関係しているのだろうか?
たとえば,ここに「誰にでもお金を無利子ですぐ貸します。ご返済はいつでも結構」という話を信じて,借金しようとしている人間がいるとする。当然ながら周囲はこの人間を思いとどまらせようとする。その際に出てくるのが「そんなうまい話がどこにある」というタイプの発言である。
この発言に対して「現にここに一つあるではないか」と返答しても(それはそれで相手を面食らわせはするだろうが)反論にはならないように,「そんなうまい話がどこにある」とは「そんなうまい話が世間一般にどれだけある」という意味である。
このように我々は,或るうまい話が信用できるかどうかを判断するのに,同様のうまい話が世間にどれだけあるかを強い目安とすることがある。同様のうまい話が世間にたくさんあるならその話も信用できるかもしれないが,同様のうまい話が世間にないなら,その話はでっち上げだという判断の仕方である。
この判断法は,たまたまそれまでになかった,新しいうまい話への「一番乗り」ができないという大きな欠点を持つが,それだけに手堅い判断法とも言えるだろう。以上は儲け話に限ったことではない。特異な人物の話に接して「そんな奴いるもんか」,怪異現象を聞かされて「そんな変なことあるもんか」「そんな話は聞いたことがない」等,類例もある。我々は,或る事物を「事実そのようなもの」として信用できるかどうかを判断する際に「同様の事物が世間にどれだけあるか」をしばしば強い目安とする。
或る事物を「事実そのようなもの」として相手に信用させようとする際にも,同様の事物が既に世間にたくさんあると指摘する発言がしばしばなされる。たとえば「こんなものは見たことがない」と異国の食品を警戒する相手に,「あれ,知らないの? これ,有名だよ」などと知名度の高さをアピールして安心させようとするのはこれにあたる。またたとえば,風変わりなアドバイスを受けて「そんなことあるかなあ」と懐疑的な相手に,「世に~と言うではないか」と,慣用句を挙げて背中を押すというのもこれにあたる。
さて,語である。たとえばオレオレ詐欺の1件目が発生した時には,「オレオレ詐欺」という語はなかった。オレオレ詐欺の2件目が発生した時にも,やはり「オレオレ詐欺」という語はなかった。語「オレオレ詐欺」は,たくさんのオレオレ詐欺が発生して初めて,それらを土台としてできあがったことばである。語「オレオレ詐欺」の例からすれば,何かを表す語があるということは,その何かが既に世間にたくさんあることを(保証はしないが)匂わせるということになる。前々回述べた,『猛禽』に男をかすめとられる普通女子たちの無数の不幸は,『猛禽』の正体が暴かれるためだけでなく,実は「猛禽」という語が「既に世間にたくさんあるもの」を表すまっとうな語として作られるために,必要であったのだ。語には「語がある以上,その指示対象もちゃんとあるはず」と思わせる力があり(第69回),「猛禽」という語にはそれが特に顕著に感じられるとしたのも(第71回),このことである。
もちろん,新しく作られた語が本当にまっとうな語なのかどうか,それが表すものが本当に「既に世間にたくさんある」のか否かはしばしば漠然としており,新語の作り手にも,時にそういう疑惑の目が向けられる。『猛禽』キャラの下位タイプである『かくれ猛禽』キャラの初出時,つまり語「かくれ猛禽」の初出時に,江古田ちゃんたちが「「なんでも名付けるな」って言いたげだけど いるんだよ 実際 一定数!!」と言い訳しているのは(第4巻55頁),そうした疑惑の目に答えようとしたものだろう。
(マンガ『臨死!! 江古田ちゃん』と『猛禽』キャラは斎藤佳子氏に紹介していただいたものである。お名前を挙げて謝意を表したい。)