日本語社会 のぞきキャラくり

第97回 「あなた」と呼ばれたい?

筆者:
2010年7月4日

話し手自身を指すことば(自称詞)を前回取り上げたついでに、相手を指すことば(対称詞)にも触れておこう。

留学生にたどたどしい発音で「アナタワ、センセイデスカ?」なんて言われても、私はそんなに腹も立たない。が、日本人学生に「あなたは先生ですか?」と言われたらむかついてしまう。それを言うなら「あのぅ、、、先生でしょうか?」あたりだろうが失礼な。いや、むかつくよりも警戒するかな。学生が先生らしい人間を「あなた」呼ばわりするということは、もはや状況は訴訟寸前のところまで来ているのかもしれない。あなたはそれでも先生ですか、いい加減にしなさい、何なら出るところへ出ましょうか、みたいな、ね。

「あなた」ということばは「わたし」とペアになって、日本語の教科書の最初に出てくる。外国人は誰に対しても「あなた」でオーケーである。が、それはあくまで『外人』キャラのことばでしかない。

たしかにテレビでコマーシャルを観ても、街角でアンケートを受けても、「あなたの肌年齢を若返らせる!」「あなたはどんな国に行ってみたいですか?」のように、「あなた」はよく現れる。だが、だからといって「あなた」がいつでも問題なしということにはならない。そもそもコマーシャルやアンケートというものは、見ず知らずの不特定多数の人々に向けられたもので、発信者側は受信者側と人間関係を築いていない。だからこそ「あなた」でよいのだろう。

知り合いに囲まれて暮らしているかぎり、相手を「あなた」と言う状況はなかなか出て来ない。私なんか、人を「あなた」と呼んだことは、少なくとも年が明けてからまだ一度もないもんね。不遜だもん。「あなた」は丁寧なことばだけど、基本的に『格上』が発する丁寧なことばだから。大学の法学部を卒業して、どこへ行く当てもなく、文学部に学士入学する試験を受けた時、面接で教授に「なぜあなたはこんな就職のないところにわざわざ来るんですか」と叱られたけど、あれぐらいの先生でないと「あなた」とは言えない。あっしなんざ、まだまだでさぁ。

もちろん、冒頭でも述べたように、法廷やその一歩手前といった公的な状況では、「1人の人間として誰もが平等に有する尊厳」とやらのせいだろうか、幾らかは人を「あなた」呼ばわりしやすくなるようではある。だが、容疑者は「あなた」と呼びやすい一方で、裁判長は「裁判長」であって「あなた」とは呼びにくいとしたら、「あなた」は結局そういう状況でも『格上』のことばらしさを保っているということになる。

え? マンガ『サザエさん』なら、サザエさんが「あなた、お弁当忘れてるわよ」なんて夫のマスオさんに言いそうだって? その時、サザエさんはマスオさんを見下しているのかって? もちろんそんなことはないだろう。この「あなた」は、婚姻関係あるいは恋愛関係にある者(多くは女性)が、その相手に対して発する「あなた」である。いまどきの若い女性にはあまりなじみのないものかもしれないが、たとえば山本周五郎は江戸時代の男女に次のような会話をさせているし、

「[前部省略] おらあ弥六ってえ者だ、これからあ、そう呼んで貰えてえ」
「あらいやだ、女房が亭主の名を呼ぶ者があるかしら、御夫婦と定(きま)ればあなたアって呼ぶわ、そう呼ばせてくれるウ」

[山本周五郎『ゆうれい貸家』1950.]

ちょっと前の流行歌にもこれが実によく出ていた。「親しい関係にあるということは、お互いに『格上』として振る舞えるということである」と考え、さらに「男性が『格上』でぞんざいに「おまえ」と呼んだりするのに対して、女性は『格上』でも丁寧に「あなた」と呼ぶ」と考えれば、この「あなた」も上で述べた『格上』の丁寧な「あなた」とつながるのかもしれない。詳しいことはさらに調べてみなければわからない。

だが、この恋人宛ての「あなた」の扱いがどうであれ、今の段階ではっきりしているのは、「あなた」が、丁寧なことばのはずなのに、人によっては失礼と感じられてしまう状況がいろいろとあるということである。相手のことをぞんざいに「おまえ」「きさま」「てめえ」などとは呼ばず、丁寧に「あなた」と呼んでいるのに感じられる失礼さとは、そもそも話し手が本来の分を超え高位者として振る舞っているという、話し手のキャラ(『格上』)に由来するものではないだろうか。私が言いたいのはそういうことである。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。