古典の授業で『枕草子』を勉強しても、『枕草子』全部を通して読んだ方はあまりいないと思います。また、受験勉強的な知識として、『枕草子』は約300の章段からなる作品であると記憶した方も、それらの章段がどのような順序で並んでいるのかを知っている方は少ないのではないでしょうか。
高校までの古典の教科書では、『枕草子』のいくつかの章段を適宜選んで載せているので作品の全体像が分からないのも当然です。大学で古典文学を専攻した学生が、本格的に『枕草子』を勉強して最初に驚くことは、作品全体の形がとても不安定だということです。それには、様々な内容の文章から成っている作品の形態自体の不安定さと、現存している写本の内容が大きく異なることによる本文確定の不安定さという二つの面があります。
後者から先に説明しましょう。作者が実際に書いた当時の文章が、現在までそのままの形で伝えられていないのはどの古典も同じですが、『枕草子』の場合は、伝えられた本(伝本と言います)に、内容の大きく異なるものが何種類もあるのです。それらの伝本を、昭和初期に池田亀鑑(いけだきかん)という研究者が詳しく調査し、大きく4種類に区分しました。4種の伝本は、部分的な用語の違いの他に、文章の出入りや順序の違いがあちこちに見られ、全体的な形態が異なっています。それは、まるで違う本かと思われるくらいです。次に簡単に紹介しておきましょう。
4種の本のうち、現在私たちが最も読む機会の多い本は、もともと3巻に分冊されていたことから三巻本(さんがんぼん)と名付けられた伝本です。複数ある三巻本の伝本の中では、京都近衛家の陽明文庫に所蔵されていた一本が最も善い本とされていますが、残念なことに上巻前半部が紛失して残っていないため、冒頭から約4分の1の文章が欠けています。その部分は、他の三巻本系の伝本で補って読むことになります。
昭和初期に陽明文庫本が紹介されるまで、一般的に使用されていた伝本は能因本(のういんぼん)です。平安中期に活躍し、清少納言の親戚筋にあたる歌人の能因法師が持っていた本であると奥書(おくがき)に記されているため、信頼すべき本と考えられました。そのため、江戸時代に出版された『枕草子』の注釈書はすべて能因本を用いており、その中で、北村季吟の『枕草子春曙抄(まくらのそうししゅんしょしょう)』は最も広く読まれました。
前田家本は、加賀藩前田家に伝えられた本です。この系統の伝本はたった一冊しかありません。また、書写年代が最も古く、鎌倉時代中期にまで遡ります。ちなみに書写年代が古いということは、清少納言が書いた原本に近いということとイコールにはなりませんが、資料的な価値が高いという点で大変貴重な本です。これに、堺に住む隠者の所持していた本を写したと奥書に書かれた堺本を入れて4種の伝本になります。
少し専門的な話になってしまいましたが、これら4種の伝本の本文内容には、たとえば『源氏物語』の伝本とは比べようがないほどの差違があり、さらに、どの伝本が『枕草子』の原形を伝えているのかが未だに確定していません。では、4種の伝本の本文がどのように異なっているのか、それをお話しするために、次回は『枕草子』の作品形態について説明したいと思います。