『三省堂国語辞典』は、いわゆる俗語であっても、広く使われていることばは、できるだけ載せようという方針を採っています。語釈の冒頭には〔俗〕と表示します。今回の第六版の新規項目で言えば、「過去問」「地頭(じあたま)」などがそうです。
また、改訂の時点で俗語の意識が薄れているものは、〔俗〕の表示を削ります。「(首相の)続投」「丸投げ」などは、もうなじんだと考えて、〔俗〕を削除しました。
ということは、改訂の際に〔俗〕の表示がなくなったのはどの語かを調べれば、俗語が一般化していく時期が分かりそうです。事実、第六版が刊行された時、「〔俗〕を削った語にはどんなものがありますか」というご質問をいただきました。
ただ、新旧の『三国』を比べて俗語の一般化について調べようとする人は、思い通りの結果が得られないかもしれません。というのも、改訂時に〔俗〕を削るのは、必ずしも、その時点で一般化したばかりのほやほやのことばとは限らないからです。
第六版では、ざっと100か所あまりの〔俗〕を削除しました。その中には、「これはとっくに俗語でなくなっている」と判断したものが少なくありません。
たとえば、数字の「四(よん)」は、初版(1960年)以来ずっと〔俗〕と表示されていました。『三国』の前身『明解国語辞典 改訂版』(1952年)の説明を受け継いだものです。年配の人は「4B鉛筆」を「しいビー」、「3、4か月」を「さんしかげつ」と言います。でも、このような場合には「よん」と読むことが一般化してすでに久しいでしょう。
また、「水をふんだんに使う」の「ふんだんに」も〔俗〕がついていました。江戸時代の『かたこと』に〈不断(ふだん)といふべきを、ふんだんなどいふこと如何(いかが)〉とあり、昔は「ふんだん」は俗な言い方でした。現代では、これもふつうのことばです。
今回の改訂では、このような語からは、つとめて〔俗〕の表示を削りました。
こうした中で、俗語から一般語に脱皮したばかりのことばも、もちろんあります。代表例は「デジカメ」です。私は、このことばを1995年に初めて聞いた時、「デバガメ」みたいでふざけた言い方だと思いました。ところが、今では普通の文章にも見られ、私自身も使っています。「デジカメ」は、2001年の第五版で〔俗〕として登場し、今回の改訂で〔俗〕の表示を削られました。