『枕草子』は、物語や日記文学のように時間の流れに沿って内容が展開していく形態のものではありません。『枕草子』はたくさんの文章の集合体からなっている作品であり、その一つ一つの文章のかたまりを現代の私たちは「章段」と呼んでいます。しかし、書かれた当時の原本では、おそらく各章段の区切り目は定まっておらず、章段番号も付けられていなかったと思われます。それは、現在伝えられている写本の状態から判断できます。
『枕草子』の本文には、「○○は」「○○もの」という標題を持った文章があり、少なくとも、各標題の前で章段が区切られていたと考えることは可能です。ただし、それ以外の標題のない文章の区切り目はどうもはっきりしないのです。
『枕草子』が約300段の章段からなるというのは文学史的な知識ですが、伝本を活字にする際に、読みやすいように章段の区切りをつけ、通し番号を打ったのは現代の『枕草子』注釈書の著者です。したがって、その区切り目も章段総数も、注釈書によって少しずつ異なっています。試しに図書館で何冊か手にとって、最後の章段の番号を比べてみると、280番台から330番台あたりまで、本によっては50段ほどもの違いがあったりします。
『枕草子』の注釈書をいくつか読み比べる際には、それぞれの本ごとに章段番号が異なるので、最初に目的の章段を探し出さなければならないという面倒なことが生じます。また、『枕草子』の卒業論文を書く学生は、どの伝本を用いた、どの注釈書をテキストに使うかを最初に提示し、本文引用の際には章段番号とともに冒頭文も明記しなければなりません。
『枕草子』を研究する際には、このような手間がかかるのです。そんな作品の本文全体を把握するにはどうしたらよいのか、そのために役立つ研究方法を編み出したのは、前回お話しした池田亀鑑氏(いけだきかん)でした。氏は『枕草子』の伝本研究を進める中で、章段をその内容から類聚段、日記(回想)段、随想(随筆)段の3種に分類しました。
類聚段は、「○○は」「○○もの」という標題を持ち、その標題に適合する対象を作者の考えや好みによって集めた章段です。日記段は清少納言が体験した後宮生活を記録した章段で、随想段は類聚段と日記段以外のすべての章段を含みます。随想段の内容は雑多で統一されていませんが、作者が発見した自然や人事に関する観察、批評等を記した章段が主になります。
これら3種類の章段内容から、『枕草子』には作者が宮仕え生活で体験し、感じた様々な事柄が書き留められていることが分かります。ここで前回お話しした伝本の問題に戻りますと、その3種の章段が種類ごとに整理され編集されているのが前田家本と堺本で、3種の文章が作品全体に混在しているのが三巻本と能因本になります。
研究者の間では前者を類纂(るいさん)形態本、後者を雑纂(ざっさん)形態本と呼んでいますが、『枕草子』の原本に近いのは後者の形態だろうとされています。様々な文章が入り混じった本文を内容ごとに分類し、配列するのは後世の人の行いそうなことですが、作者以外の人物が、もともと分類配列されていた本文をわざわざシャッフルすることはないと考えられるからです。また、雑纂形態本の章段配列を観察してみると、異なる種類の章段間の文章の繋がりに連想的な脈絡の見られる箇所が複数あり、それが作者の作為によると見なされるからです。
では、雑纂形態本のうち、三巻本と能因本とではどちらが原本に近いかというと、まだ決定的な結論は下せない状況にあります。また、類纂形態本のうち、書写年代の最も古い前田家本の本文には、部分的に古い文体が残されている可能性が十分にあります。このように、『枕草子』の伝本問題は複雑で容易に解かれないのが現状です。