2月3日は「節分」だ。「立春」の前日であり、暦の上では、冬が終わり、春が始まることになる。
子供のころ、母親に連れられ、近くにあった新井薬師に、お相撲さんたちが投げる豆を拾いに行った。大豆や落花生のほか、蜜柑(みかん)、時には硬貨まで飛んでくる、ワクワクする行事だ。当時は、恵方巻などという風習は、我が家に全く伝わっておらず、家や小学校では、窓を開け、やはり「鬼は外、福は内」と大声で唱えながら、炒った大豆を撒(ま)いたり、歳の数だけとそれを食べたりしたものだ。
この「節分」の「節」は、竹冠であるところからも分かるとおり、元は竹のフシを表す字であった。そこから、フシ目のようなものであれば、音楽のフシや、季節のフシめ(五節句、二十四節気ほか)なども表すようになったわけだ。
日本では、中国や韓国と同じように、立春の後、間もなく「旧正月」を迎える。正月(第7回)の「お節(せち)料理」の「節」も、こうした漢語の「節」から来ているものであった。
季節の節目だけでなく記念日のことをも、現代の中国では「節」(ジエ jié)と呼んでいる。大陸では漢字は「」と大幅に簡易化されているが、たとえば旧正月は「春節」(チュンジエ)と言う。
韓国では、漢字は街中から失われ、ハングルしか見られなくなりつつあるが、やはり「節」は残っている。この字を朝鮮漢字音では「チョル 절」のように発音する。漢字で書くとなれば、いわゆる旧字体によって印刷されるのだが、「節日」(チョルイル・チョリル)「名節」(ミョンジョル)など、今でも漢語として使われている。
すでに漢字文化圏であることさえも忘れられつつあるベトナムでも、この「節」という語は伝えられているのである。今から40年ほど前の1968年、ベトナム戦争は大きな転機を迎えた。それは、1月末からの北ベトナム人民軍と南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)による一大攻勢によるものであった。これを「テト攻勢」と呼んでいるが、この「テト」こそ、「節」のベトナム漢字音(Tt)であった。ベトナム語では、旧正月のことを「テト」と呼ぶのである。なお、ベトコンは漢字では「越共」と書け、これもベトナム漢字音なのであった。
つまり、「節」という漢字は、(北京語を話す)中国の人が「ジエ」のように読み、日本人が「セツ」「セチ」と読むように、漢字を識(し)っている韓国人は「チョル」と発音し、ベトナム人は「テト」のように発音したのだ。
儒教道徳や律令制度などを共有し、冊封体制まで形成したかつての漢字文化圏は、すでにどこにもないが、それらの地では、漢字は字体、字音、字義に変容を呈し、時にそのいずれかを消滅させながらも、その遺産はなおも受け継がれているといえよう。