漢字の現在

第10回 「節」の広がり

筆者:
2008年2月2日

2月3日は「節分」だ。「立春」の前日であり、暦の上では、冬が終わり、春が始まることになる。

節分

子供のころ、母親に連れられ、近くにあった新井薬師に、お相撲さんたちが投げる豆を拾いに行った。大豆や落花生のほか、蜜柑(みかん)、時には硬貨まで飛んでくる、ワクワクする行事だ。当時は、恵方巻などという風習は、我が家に全く伝わっておらず、家や小学校では、窓を開け、やはり「鬼は外、福は内」と大声で唱えながら、炒った大豆を撒(ま)いたり、歳の数だけとそれを食べたりしたものだ。

この「節分」の「節」は、竹冠であるところからも分かるとおり、元は竹のフシを表す字であった。そこから、フシ目のようなものであれば、音楽のフシや、季節のフシめ(五節句、二十四節気ほか)なども表すようになったわけだ。

日本では、中国や韓国と同じように、立春の後、間もなく「旧正月」を迎える。正月(第7回)の「お節(せち)料理」の「節」も、こうした漢語の「節」から来ているものであった。

季節の節目だけでなく記念日のことをも、現代の中国では「節」(ジエ jié)と呼んでいる。大陸では漢字は「「くさかんむり」に「ふしづくり」」と大幅に簡易化されているが、たとえば旧正月は「春節」(チュンジエ)と言う。

韓国では、漢字は街中から失われ、ハングルしか見られなくなりつつあるが、やはり「節」は残っている。この字を朝鮮漢字音では「チョル 절」のように発音する。漢字で書くとなれば、いわゆる旧字体によって印刷されるのだが、「節日」(チョルイル・チョリル)「名節」(ミョンジョル)など、今でも漢語として使われている。

すでに漢字文化圏であることさえも忘れられつつあるベトナムでも、この「節」という語は伝えられているのである。今から40年ほど前の1968年、ベトナム戦争は大きな転機を迎えた。それは、1月末からの北ベトナム人民軍と南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)による一大攻勢によるものであった。これを「テト攻勢」と呼んでいるが、この「テト」こそ、「節」のベトナム漢字音(Tt)であった。ベトナム語では、旧正月のことを「テト」と呼ぶのである。なお、ベトコンは漢字では「越共」と書け、これもベトナム漢字音なのであった。

つまり、「節」という漢字は、(北京語を話す)中国の人が「ジエ」のように読み、日本人が「セツ」「セチ」と読むように、漢字を識(し)っている韓国人は「チョル」と発音し、ベトナム人は「テト」のように発音したのだ。

儒教道徳や律令制度などを共有し、冊封体制まで形成したかつての漢字文化圏は、すでにどこにもないが、それらの地では、漢字は字体、字音、字義に変容を呈し、時にそのいずれかを消滅させながらも、その遺産はなおも受け継がれているといえよう。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究により、2007年度金田一京助博士記念賞に輝いた笹原宏之先生から、「漢字の現在」について写真などをまじえてご紹介いただきます。