漢字の現在

第15回 幼稚園

筆者:
2008年6月6日

幼稚園での生活にも慣れた二男が弁当を持って通園している。そのついでのように、私も弁当を持たされる。研究所勤め以来のことだ。その子に、弁当を残さず食べるようにと励ますつもりで、語りかけてみた。

「お父さんも一緒のお弁当だから、別々のところでだけど、たくさん食べようね」

年少児は答える:

「お父さんとは、別々の幼稚園だからね」

その兄については、ガッコーつまり小学校に通っていると知っているのに、なぜ?と、心に引っかかったので、数日後に説明してみた。

「お父さんは、幼稚園じゃなくて、大学っていうところに行って、お弁当を食べているんだ」

すると、二男は違うでしょ、とばかりに答える:

「ダイガク幼稚園でしょ!」

確かに「最高学府」という語が古語のようにも感じられるとおり、ダイガクにも、ちょっと幼稚園のごとく、平仮名を教えてみるなど、基礎造りのようなさまざまな時間もあるほか、お遊戯のようなことをさせられたりもしているかな、と思い当たってしまう。

この「幼稚園」という漢語は、フレーベルの造語とされるドイツ語のKindergartenの訳語だそうで、明治初期からあらわれ、「幼穉園」とも書かれた(*1)。「幼」は「幺」(ヨウ)が声符つまり発音を示す要素と解釈されることもあるが、そうであれば部首が声符を兼ねるという、比較的珍しい漢字ということになる。「幼稚(幼穉)」という語は、幼いと、稚(いとけな)いという2字が組み合わさった熟語で、年が少ない、幼いというだけの意味だ。

しかし、「幼稚な人」、「幼稚な考え」などというように、世上では未発達、未熟といった、ややマイナスの語感をもって用いられることが多い。これも古代中国で起こった用法である。

日本では、少子化など社会情勢の変化により、幼稚園と保育園の一元化の動きもあり、「幼稚」を含まない「認定こども園」も現れてきた。韓国でも、幼稚園は漢語で「幼稚園」(ユ・チ・ウォン 유치원)だが、中国ではそれをやめ、現在では「幼児園」(you4er2yuan2 ヨウ・アル・ユアン 実際には簡体字で「幼儿园」)となっている(園児を一週間預けるケースもあるそうだ)。ただし、台湾や香港では、今でも「幼稚園」(you4zhi4yuan2  ヨウ・ジー・ユアン)とも言っており、いわゆる繁体字を公用する地区と、この和製と思しい訳語の使用地区とがよく一致している。日本でも、保育園で「幼児園」と称する施設も存在する。

ベトナムでは「幼稚園」(アウ・チー・ヴィエン u tr vin)は、「幼い園」(ヴオン・チェー vườn trẻ)ないし「幼い家」(ニャー・チェー nhà trẻ)という固有語にすっかり言い換えられたそうだ。社会情勢の変化に、熟語の持つ語感や日本からの影響の薄れも相俟って、「幼稚園」という語も東アジア世界から減少しつつあるようだ。

【注】

  1. 幼稚園の先生は、日々の仕事の中で、幼稚園と書く際に「幼稚囗」のように略すことがある。「囗」が一般に多く見られる「国」の略字ではないところに、仕事柄多用する字の差が表れている。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究により、2007年度金田一京助博士記念賞に輝いた笹原宏之先生から、「漢字の現在」について写真などをまじえてご紹介いただきます。