幼稚園での生活にも慣れた二男が弁当を持って通園している。そのついでのように、私も弁当を持たされる。研究所勤め以来のことだ。その子に、弁当を残さず食べるようにと励ますつもりで、語りかけてみた。
「お父さんも一緒のお弁当だから、別々のところでだけど、たくさん食べようね」
年少児は答える:
「お父さんとは、別々の幼稚園だからね」
その兄については、ガッコーつまり小学校に通っていると知っているのに、なぜ?と、心に引っかかったので、数日後に説明してみた。
「お父さんは、幼稚園じゃなくて、大学っていうところに行って、お弁当を食べているんだ」
すると、二男は違うでしょ、とばかりに答える:
「ダイガク幼稚園でしょ!」
確かに「最高学府」という語が古語のようにも感じられるとおり、ダイガクにも、ちょっと幼稚園のごとく、平仮名を教えてみるなど、基礎造りのようなさまざまな時間もあるほか、お遊戯のようなことをさせられたりもしているかな、と思い当たってしまう。
この「幼稚園」という漢語は、フレーベルの造語とされるドイツ語のKindergartenの訳語だそうで、明治初期からあらわれ、「幼穉園」とも書かれた(*1)。「幼」は「幺」(ヨウ)が声符つまり発音を示す要素と解釈されることもあるが、そうであれば部首が声符を兼ねるという、比較的珍しい漢字ということになる。「幼稚(幼穉)」という語は、幼いと、稚(いとけな)いという2字が組み合わさった熟語で、年が少ない、幼いというだけの意味だ。
しかし、「幼稚な人」、「幼稚な考え」などというように、世上では未発達、未熟といった、ややマイナスの語感をもって用いられることが多い。これも古代中国で起こった用法である。
日本では、少子化など社会情勢の変化により、幼稚園と保育園の一元化の動きもあり、「幼稚」を含まない「認定こども園」も現れてきた。韓国でも、幼稚園は漢語で「幼稚園」(ユ・チ・ウォン 유치원)だが、中国ではそれをやめ、現在では「幼児園」(you4er2yuan2 ヨウ・アル・ユアン 実際には簡体字で「幼儿园」)となっている(園児を一週間預けるケースもあるそうだ)。ただし、台湾や香港では、今でも「幼稚園」(you4zhi4yuan2 ヨウ・ジー・ユアン)とも言っており、いわゆる繁体字を公用する地区と、この和製と思しい訳語の使用地区とがよく一致している。日本でも、保育園で「幼児園」と称する施設も存在する。
ベトナムでは「幼稚園」(アウ・チー・ヴィエン u tr vin)は、「幼い園」(ヴオン・チェー vườn trẻ)ないし「幼い家」(ニャー・チェー nhà trẻ)という固有語にすっかり言い換えられたそうだ。社会情勢の変化に、熟語の持つ語感や日本からの影響の薄れも相俟って、「幼稚園」という語も東アジア世界から減少しつつあるようだ。
【注】