特別寄稿

コロナと辞書―辞書を楽しむひとつの切り口として―3

筆者:
2021年3月11日

9. 感染が拡大する気配がみえてくると、それを防ぐためのまず警告が出されます。「アラート」です。東京では橋のライトアップの色を変えたりして、それを知らせようとしました。この語は、「新明解」では7版にはなく、新版で加わりました。「明鏡」は2版から載せて、3版も全くそのままにしています。

「新明解8」
アラート〔alert=警報(を出す)〕警告するための音やメッセージなど。

「明鏡2」・「明鏡3」
アラート[alert]警告。警報。

「警告するための音やメッセージ」「警告」「警報」と、一般的な「警告」との差がわからないあっさりした記述です。「アラート」と「警告」とに違いはないのでしょうか。使い分けなどの情報も書いてほしかったと思います。

 

10. 「アラート」の段階をすぎて、いよいよ感染が都市内全域に拡大しそうになると、非常手段を取らざるを得なくなることがあります。2020年1月中国の武漢市は都市全体を封鎖しました。イギリスでも一定の地域の封鎖が行われました。このことを表す外来語「ロックダウン」は国語辞典ではどうなっているでしょうか。

「新明解8」
ロックダウン〔Lockdown=監禁・封鎖〕重大な危機事態に際し、建物や地域。都市全体などを外部から遮断して封鎖すること。

「新明解8」だけが載せていました。「明鏡」は2版3版とも「ロックアウト」は載せていますが、「ロックダウン」は採録していません。もしかして、日本ではこういう強硬な手段はとられなかったから、日本語の辞典には不要と思われたのでしょうか。

 

11. たしかに、日本では「ロックダウン」は行われませんでしたがそれに近いものとして緊急事態宣言が発出されました。この「発出」は、2020年3月のころは耳新しいことばでしたが、2度目の緊急事態宣言が出された2021年の1月ではもう耳慣れたことばになってしまっています。

「新明解7」
はっ しゅつ【発出】(他サ)役所などから通達などを出すこと。「局長通達を―する」

「新明解8」
はっ しゅつ【発出】(他サ)役所などから通達などを出すこと。「局長通達(危険情報・緊急事態宣言)を―する」

「明鏡3」
はっ-しゅつ【発出】(自他サ変)ある事態や状態が現れ出ること。また、現し出すこと。「県が―する文書」「改善命令を―する」

「新明解」は7版も載せていましたが、新版では用例を追加してコロナの「緊急事態宣言」そのものを載せています。「明鏡」は2版にはなかったので、3版で項目を追加したわけですが、「新明解」が他動詞だけなのに対して、自動詞もありとしています。そして他動詞の用例ですが「改善命令を―する」としています。コロナの騒ぎで「発出」の語は新しく採用したが、決してコロナどっぷりの用例は出さないぞというこだわりでしょうか。それとも、矜持でしょうか。

 

12. さて、緊急事態宣言が発出されると、できるだけ外出はしないようにということで働き方も変わってきます。職場に通わないで家などで働く働き方を表すことばもいくつか出てきました。これらの語は、当然ですが「新明解」も「明鏡」も新版だけにみられます。つまりコロナ新語ということです。

「新明解8」
テレワーク〔telework←tele(=離れて)+work(=働く)〕情報通信技術を活用して、職場とは異なる場所で勤務すること。テレコミュート。

「明鏡3」
テレワーク[telework]情報通信技術を利用して事務所などから離れた場所で仕事をすること。また、その勤務形態。テレワーキング。リモートワーク。

「明鏡3」
リモート-ワーク[remote work]⇒テレワーク

どちらかといえば、新語のとり入れは慎重だった「明鏡」ですが、「リモートワーク」は率先して取り入れています。コロナの時代がそう簡単には終わらないとしたら、こういうことばも定着していくでしょう。

 

13. テレワークをしたくてもできない仕事をして、わたしたちの生命や生活を支えてくださっている人たちのことを忘れることはできません。「エッセンシャルワーカー」のみなさんです。ですが、この語は今回の2辞書ではまだ項目語としては採用されていません。「エッセンシャル」が「新明解7」で採用されていて、「新明解8」でそれの用例のひとつに取り入れたところです。

「新明解7」
エッセンシャル〔essential〕本質的。根本的。必須であるさま。

「新明解8」
エッセンシャル〔essential〕本質的。根本的。必須であるさま。「―オイル〔=精油〕・―ワーカー〔=医療・流通など社会生活を営むために必須の労働に従事する人〕」

「明鏡」では「エッセンシャル」も立項していないので、その労働者を表す語にまで近づけていません。

 

14. 以上、新しく刊行された国語辞書が昨今のコロナ時代をどう反映しているか、いくつかの語を拾い上げながら観察してみました。「新明解8」は序文でも明言しているように、新時代の語を積極的に取り入れていました。「明鏡」は新語の採用に慎重かと思う反面、前の版ですでに先取りしていたり、「新明解」が採用していない語を入れていたりして、新しさの追求ではそれほど違いはないのかもしれません。語釈や用例では、いくつか疑問な記述もみられましたが、それぞれ個性的な面もみられ、辞書の性格の違いが表れていました。

今回はコロナの影響に絞ってみたのですが、その他、環境問題と辞書、時事問題と辞書、スポーツと辞書、ジェンダーと辞書などなど、辞書は非常に多くの情報を持っているだけに、おもしろいテーマがいくつでも見つかります。みなさんも、辞書をテーマにして楽しんでみませんか。

筆者プロフィール

遠藤 織枝 ( えんどう・おりえ)

元文教大学教授

専門:
日本語学・日本語教育
日本語の性差別研究・中国女文字研究を経て、最近は介護の日本語教育研究に軸足を置いています。特に介護の難解な用語については、近年増えて来た介護に従事する外国人にとって負担が非常に大きいので、平易化・標準化の方向を模索しているところです。

著書:
『やさしく言いかえよう 介護のことば』(共著 三省堂 2015)
『5か国語で分かる介護用語集』(共編著 ミネルヴァ書房 2018)
『利用者の思いにこたえる 介護のことばづかい』(共著 大修館書店 2019)