特別寄稿

コロナと辞書―辞書を楽しむひとつの切り口として―2

筆者:
2021年3月4日

3. さて、次はこの緊急事態のそもそもの原因となっている「コロナウイルス」です。このことばはどうなっているでしょうか。さすがに新版の「新明解8」と「明鏡3」は立項しています。どちらも前の版にはないもので、コロナ語の辞書への初登場の例です。

「新明解8」
コロナウイルス〔coronavirus太陽のコロナのように見えることから〕人や動物で感染症を起こすウイルス。ヒトコロナウイルスの中には、サーズ(SARS)やマーズ(MERS)、2020年に大流行した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の病原体などがある。

「明鏡3」
コロナウイルス[coronavirus] コロナウイルス科に属する一本鎖RNAウイルス。哺乳類・鳥類に感染し、呼吸器感染症などの疾患を引き起こす。▽ウイルス表面の突起が太陽のコロナのように見えることから。

2辞書の違いは、「新明解8」のほうは「2020年に大流行した」とこのウイルスの歴史性を述べ、「明鏡3」のほうは「一本鎖RNAウイルス」とウイルスの分類に言及していることです。どちらも重要な情報でしょうが、そのどちらを載せるかは、辞書の方針や性格がかかわってきます。しかし、こういう例をみると、やはり辞書は1冊ではだめだとつくづく思わされますね。

 

4. このウイルスの蔓延で、日常生活に欠かせなくなったものが「マスク」です。マスクなど昔からあるので辞書は前の版を踏襲しているのではないかと思っていましたし、「新明解」も全く前の版と変えていないのですが、「明鏡」は違いました。

「明鏡2」
マスク[mask]①省略 ②ほこり・病原菌などの侵入を防ぐために、口や鼻をおおうガーゼ製などの衛生用具。以下略

「明鏡3」
マスク[mask]①省略病原体の侵入・放出やほこりなどを防ぐために、口や鼻をおおう不織布製などの衛生用具。以下略

病原菌が病原体に、侵入が侵入・放出に、ガーゼ製が不織布製にと、コロナによって新たになった事柄を取り入れて書き改められています。まさにコロナ時代の「マスク」です。

 

5. マスクをしても、このウイルスに集団で感染する事態が起こると「クラスター」が発生したと言われます。ここではその「クラスター」です。

「新明解8」
クラスター〔cluster=固まり〕集合体。ある要素のまとまりや、人の集団。クラスタとも。「鉄鋼産業―・患者―〔感染者の小集団〕」

「明鏡2」
クラスター[cluster]①同種のものや人の集まり。「―爆弾」②原子・分子の集合来の中で特定の原子・分子が結合して安定し、その集合体の中で一定の役割を果たしている状態。③都市計画で、個々の道路や建築物を相互に関連させ、一つの集合体にまとめた地域。④コンピューターのディスク上の記憶領域の単位。◇房の意から。

「明鏡3」
クラスター[cluster]①同種のものや人の集まり。集団。群れ。②原子・分子の集合体の中で特定の原子・分子が結合して安定し、その集合体の中で一定の役割を果たしている状態。③都市計画で、個々の道路や建築物を相互に関連させ、一つの集合体にまとめた地域。④コンピューターのディスク上の記憶領域の単位。⑤ある疾患の発生率が高い集団。◇房の意から。

「新明解」では7版までは立項されていませんので、新版でデビューした語彙です。「患者―〔=感染者の小集団〕」という例を示していますが、「小集団」が気になります。

「大」か「小」かどこで線を引くか難しいところですし、現実には20人30人のような集団感染の起きている例もあるのですから、あえて「小」とする必要はないのではないでしょうか。新聞では「クラスター(感染者集団)」と書いている例をよくみます。

「明鏡」がこの語を2版から取り上げ、語義も4つもあげて詳しく扱っているのはちょっと不思議です。初版にもこの語はありませんし、②③④の語釈もかなり難しくて、他の文章のようにはすっとわかりません。2版の執筆者か編集者の中にこの語にこだわりのある人が入っていたのでしょうか。

余談はさておき、3版では①で「―爆弾」の語例をやめて、「集団。群れ」の語義を加えました。「クラスター爆弾」などという物騒な例をやめて、わかりやすい語義を加えたのはよかったと思います。そして、昨今のコロナ時代を反映して⑤の語義を加え、「ある疾患の発生率が高い集団」と記述しました。ここで、またちょっとひっかかります。「クラスター」の語義が「ある疾患の発生率の高い集団」でいいのでしょうか。発生率が気になります。1000人の患者やスタッフがいて20人の感染者が出た病院と、100人のうち3人の感染者が出た病院と比べたら、後者の方が発生率は高いですが、この場合は「クラスターが発生した」とは言わないでしょう。言うのは20人のほうでしょう。

 

6. 次はその「感染」です。これは、別にコロナがあってもなくてもずっと昔から辞書には取り上げられていることばですから、コロナの影響はないと思われたのですが、いや、「新明解」はしっかりコロナを取り入れていました。

「新明解7」
かん せん【感染】①病気がうつること。以下略

「新明解8」
かん せん【感染】①病気がうつること。「ウイルスに―する/―経路」。以下略

新版では「ウイルスに―する/―経路」と、まさにコロナ関連の用例が加えられたのです。

「明鏡2」「明鏡3」
かん-せん【感染】①病原体が体内にはいること。病気がうつること。「ウイルスに―する」「―経路・―源」「二次―」以下略②感化されてそれに染まること。以下略

「明鏡」は2版と3版と全く変わっていないのですが、「ウイルスに―する」「―経路・―源」という、コロナ時代にそのまま使える例を前の版から載せていました。先見の明があったと言えましょう。

 

7. 次は、「感染が突発的に急拡大する」(『現代用語の基礎知識』2021, p194)ことを表す外来語「アウトブレーク」です。「新明解8」で新しく収録していますが、「明鏡」は2版3版とも立項していません。

「新明解8」
アウトブレーク〔outbreak〕〔医学で〕悪疫や感染症の突発的な発生。アウトブレイクとも。「観光立国と感染症の―は表裏一体である」

語釈と言い、用例と言い、まさにコロナの産物です。でもこの用例、何を言おうとしているのでしょうか。経済優先か感染防止優先かで右往左往している渦中にいるわたしたちには何となく言いたいことがわかる気がしますが、でも、正直言って私には正解はわかりません。「観光立国と感染症のアウトブレークは表裏一体」とは、表の観光立国と裏側の感染症の突発的な発生とは根っこのところでつながっているということでしょうか。そこまではいいとしても、だからどうだといいたいのか、その先がわかりません。何年か経って、晴れてコロナが収束した後でこの用例を読む人はどう理解するでしょうか。

 

8. 次に進みます。コロナの感染は人と人との「濃厚接触」によることが多いと言われます。「濃厚接触」を立項している辞書はありませんが、「新明解」の「濃厚」の語釈と用例が、コロナ前と新版とでは変わっています。

「新明解7」
のう こう【濃厚】①②省略 ③そのものの要素が積極的に感じられる様子だ。「疑いが―だ」。以下略

「新明解8」
のう こう【濃厚】①②省略 ③そのものの要素が強く(頻繁に)感じられる様子だ。「疑いが―だ/感染者との接触が―だった人」。以下略

語釈の「積極的に」が「強く(頻繁に)」と変わり、用例に「感染者との接触が―だった人」が追加されました。たしかに濃厚接触では頻繁に接触することでしょうし、用例も濃厚接触者のことを言っています。

「明鏡」は2版3版とも全く同じです。コロナの影響は受けていません。

 

(つづきは来週掲載予定)

筆者プロフィール

遠藤 織枝 ( えんどう・おりえ)

元文教大学教授

専門:
日本語学・日本語教育
日本語の性差別研究・中国女文字研究を経て、最近は介護の日本語教育研究に軸足を置いています。特に介護の難解な用語については、近年増えて来た介護に従事する外国人にとって負担が非常に大きいので、平易化・標準化の方向を模索しているところです。

著書:
『やさしく言いかえよう 介護のことば』(共著 三省堂 2015)
『5か国語で分かる介護用語集』(共編著 ミネルヴァ書房 2018)
『利用者の思いにこたえる 介護のことばづかい』(共著 大修館書店 2019)