否定表現に興味のある学生さん。第23回では ne... aucun ~, ne... rien, ne... personne の由来について教えてもらいました。今日は ne... plus と、ne... jamais と、ne... que ~ の由来を聞きにきましたよ。
学生:先生、先日は失礼しました。今日は、フランス語の否定表現の由来の続きを教えてもらいたくて来ました。
先生:この前は、俗ラテン語の不定代名詞・不定形容詞に由来する ne... aucun 〜 と、ラテン語の名詞に由来する、ne... rien, ne... personne について説明したところで、時間切れになったんだったね[注1]。
学生:そうです。今日は、ne... plus と、ne... jamais と、ne... que 〜 の由来について教えて下さい。
先生:最初に、「〜しか...ない」という、ne... que 〜 から説明しようか。これは、簡単に済ませよう。古典ラテン語には、 non aliud quam 〜「〜以外のものではない」という制限の表現があったが、non... nisi 〜「〜でなければ... ない」という言い回しの影響を受けて、 後期ラテン語において、 non... quam 〜 という表現が生まれた。これがフランス語に移されたのが、ne... que 〜 だ。もともとは、「1つしか... ない」というように数に関する表現だったのが、例外を表す際の全般に使われるようになった。古フランス語の最初期から、現代フランス語までずっと使われている言い回しだ[注2]。
Sa hanste est fraite, n'en ad que un trunçon.[注3]
彼の槍は折れて、柄だけになってしまう
例文は、『ロランの歌』La Chanson de Roland で、ロランの盟友のオリヴィエが異教徒を相手に戦う場面からの引用だよ。
学生:確かに、ne... que 〜 が使われていますね。他の言い回しはどうですか?
先生:ne... plus と、ne... jamais は、ラテン語の副詞に由来するんだけど、フランス語の歴史の中で、紆余曲折を経て今のような形と用法に収まった表現なんだ。まず、ne... plus の plus は、古典ラテン語で、「大量に、大いに」ということを表す副詞 multum の比較級 plus「より多く、それ以上に」に由来する。古フランス語の ne... plus は、最初、ものの分量や度合いが、ある基準を越えることを否定するために使われていた。だから、たとえば、13世紀の後半に成立した『葉陰の劇』 Le Jeu de la feuillée の中で、狂人の息子を持つ父親が、修道士に施しをする際に言う
Tenés, je n'ai or plus d'argent.[注4]
「ほら、どうぞ。今はこれ以上、手持ちのお金がないのです」
という台詞は、「これが、自分の手持ちのお金のすべてです」と解釈しなくてはいけない。
学生:これ、現代フランス語で出てきたら、「私にはもうお金がありません」という意味になりますよね。
先生:その通り。「お金を全部使ってしまったから、施しはできない」ということになってしまうね。ne... plus が「もはや... ない」という意味を持つようになったことのきっかけには、plus が、時間の継続を表す語を修飾して使われると、「これ以上長く...ない」ということを意味したということがある。たとえば、こういう文。
Il n'i a lors plus atendu.[注4]
彼は、そこではそれ以上長くは待たなかった。
学生:この文では、plus が atendre「待つ」を修飾していますが、「さらに待つ」の「さらに」で表されているのは、時間の長さだ、というわけですね。
先生:その通り[注6]。 plus は、分量を表わしているのだけれど、この文で分量としてとらえられているのは、時間、ということになるね。ところが、14, 15世紀の中期フランス語の時代になると、「待つ」のような時間に関わる語を修飾する、ということでなくても、ne... plus を現代フランス語と同様に、「もはや...ない」と解釈するべき文例がでてくる[注7]。以下の引用は、14世紀前半のテクストからとってきたものだ。
...unqe ne poeit Fouke vere plus, mes fust veogle pur tous jours.[注8]
「フークは、もう全然目が見えなくなっていた。永遠に盲人になってしまった」
学生:なるほど、現代フランス語の ne... plus と同じです。
先生:この文で言われているのは、それまで見えていた目が見えなくなった、ということだ。量の否定だった ne... plus が、持続の否定に転じている、というわけだね。こういう用例が、だんだんと増えて、量を表す表現に置き換わっていったんだ。これに関連して補足すると、古フランス語には、ne... plus と平行して、ne... mes(mes は、mais とも綴った)という、もともとは分量に関する表現があったのだけれど、最初に「もはや...ない」という意味で使われるようになったのは、こちらの方だった[注9]。
学生:mais って、現代フランス語の「しかし」という接続詞と同じ形ですね。
先生:実は、語源も同じだよ。両方とも、ラテン語の比較級の副詞 magis「もっと、さらに」に由来する。ラテン語の plus が、量や数のみを問題にしたのに対して、magis は、現代フランス語で言えば、plutôt「むしろ」という意味で使われることがあった。前言を打ち消して、「いや、むしろ」という使い方がされていたのを受けて、フランス語では、逆説の接続詞として使われるようになった、ということだね[注10]。
学生:なるほど。現代フランス語の mais は、もともとは、接続詞じゃなくて、副詞だったんですね。
先生:古フランス語の mes は、接続詞として使われる一方で、分量を表す副詞としても使われた。さっきも言ったように、ne... mes は、最初は、ne... plus と同様に量を表す表現として使われたけれど、これよりも早く、時の意味に転じて使われるようになった。
Mes or ai la gorje chanue,
viaux sui, ne me puis mes aidier,[注11]
「しかし、私は、喉もとの毛も白くなっている。
年寄りだから、もはや足腰も立ちやしない」
学生:何ですか、この文例は?
先生:1179年頃に成立した、とされている『狐物語』Le Roman de Renart 第1枝篇の、ルナール狐の裁判の場の台詞だよ。狼イザングランの奥さんのエルサンと姦通を犯したという廉(かど)で訴えられている狐のルナールが、こんな年寄りを訴えて、と文句を言っているというわけだ。
学生:「狐と狼の姦通」って、いったいなんですか? それに、狐の喉もとの毛って、最初から白くありませんか?
先生:ははは、ルナール狐は、他人の奥さんに手を出すぐらいに元気一杯なのに、もともと白い喉もとの毛のことを白髪に見たてて、年寄りのふりをしているのさ。s'aidier は、「手足を使う」という意味だけれど、ne... mes で、現代フランス語で言えば pouvoir にあたる動詞の1人称単数の puis を打ち消して、「もはや、足腰も立たない」と言っているんだ。
学生:現代フランス語の ne... plus と同じ用法ですね。
先生:そう。先ほど説明したように、中期フランス語で、ne... plus が、「もはや...ない」の意味で使われるようになると、ne... mes は、もはや使われなくなった、というわけだ[注12]。現代フランス語には例外的に、 Je n’en puis mais.「私にはどうすることもできない」という言い回しだけが残っている。
学生:なるほど。ne... plus の由来がよくわかりました。もう1つ、副詞に由来するという ne... jamais についてはどうですか?
先生:jamais は、ラテン語で、「すでに、もう」ということを意味した jam に由来する古フランス語の ja と、つい、いましがた説明した mes が結びついたものだよ。
学生:どういうことですか?
先生:ja と mes が合体するよりも前に話を遡って説明しよう。古フランス語では、「決してない」ということを言う際、過去のことを言う場合と、未来のことを言うのでは別々の表現があった。過去のことを言う場合は、ラテン語の「いつか/ある時/かつて」を意味する unquam に由来する onque(s)、「前に」という意味の ante に由来する ainc で ne を強調した ne... onque(s), ne... ainc が、「決してない」という表現だった。それに対して、未来に関することを言う場合には、ne... ja という表現がとられた。
Peccad negun unque non fiz[注13]
「私はかつて、いかなる罪も、決して犯したことがない」
Il cio li dist et adunat :
« Tos consiliers ja non estrai[注14]
[...] »
彼は、こう言って宣言した。
「今後は、あなたの助言者には、もう決してならないぞ」
例文は、両方とも紀元1000年ぐらいに書かれた受難劇と聖人伝から採ってきたものだ[注15]。前者の動詞の時制は単純過去で、後者では、単純未来になっているね。
学生:過去と未来で使い分けがなされていたのですね。
先生:そう。11世紀になると、onque(s), ainc, ja の後に、mes が添えられて、ne... onque(s) mes, ne... ainc mes, ne... ja mes と、これらの表現を強調する表現がでてきた[注16]。前者の動詞 fiz の時制は単純過去で、後者の estrai では、単純未来になっているね。
学生:mes は、ラテン語の magis に由来するから、強調のために使われたのですね。過去や未来に関して、言い表している時間を延長して、「ずっと、ない」と言っている感じでしょうか?
先生:そういうこと。このうち、過去に関わる ne... onque(s) (mes) と、ne... ainc (mes) は、15世紀半ば以降は、まったく使われなくなった。それらに代わって使われるようになったのが、徐々に過去のことを言うのにも使われるようになっていた ne... ja mes だ。さらに言うと、ja と mes は、14世紀には、普通は間に他の単語が入らないぐらいに、結びつきが強くなっていた[注17]。
学生:もともと二語だった jamais が1つの単語になったというわけですね。
先生:今回の話ででてきた古フランス語の単語が、合成語として現代語に残っている例は、jamais の他にもあるよ。déjà「すでに」は、des(現代フランス語の前置詞 dès「〜以来」にあたる)と ja が結びついたものだ。最初は「今から」ということだったのだけれど、15世紀後半に意味がずれて、「過去のある時点から」というのに使われるようになった[注18]。
学生:へえ! そうなんですね!
先生:「今後、以後」という意味の副詞の désormais は、des + ore + mais と分解できるよ。古フランス語の ore(s) は、「今」を表す副詞だったから、des ore mais で、「今から、ずっと」ということになる19。
学生:他にもありますか?
先生:単語のレベルは上がるけれども、不定代名詞の quiconque「誰でも」というのもある。qui + qui + onque(s) と分解できるけれど、古フランス語では、後に動詞を続けると、「いつであれ、〜する人は誰でも」という意味になった。エリズィオンが起こって、qui qu'onque(s) となったものが、一語で綴られるようになったというわけだ[注20]。quelconque「どれでも」というのも同様だね。
学生:面白いです。使われなくなった mais や ja や onque(s) が、これらの語の中に残っている、ということですね。
[注]