「体系(system)」の話を終えて、次は「方法(method)」の検討に入ります。といっても、「体系」と比べると「方法」の議論はあっさりしています。「方法」を論じるくだりは、わずかに次の一文だけなのです。
method 即ち方法は regular mode peculiar to anything to be done にして、何事にもあれ條理立チ順序ありて極りたる仕方なり。
(「百學連環」第50段落第9文)
英文には、例によってその左側に訳語が添えてあります。
regular 極リタル mode 仕方 peculiar 適當シタル anything 何事ニテモ done 爲スベキ
また、細かいことですが、ここに出てくる英文と同じ文が、「百学連環覚書」にも記されています。そこでは、anything ではなく、”any thing”と2語になっています(『西周全集』第4巻、331ページ)。
では訳してみましょう。
「方法(method)」とは、「どんなことであれ、なにかをする際に、そのことに固有の決まったやり方」のことだ。何事であれ、条理と順序があり、決まった仕方である。
現代語訳では、英語の引用部分も日本語に訳出していますので、それに続く西先生の日本語による言い換えと重なって、やや冗語になっています。いずれにしても、なにかを行う際に、そのものごとに合わせて決められた手順というほどの意味ですね。
西先生が、学には「体系」があり、術には「方法」があると言っていたことを思い出しましょう。また、method という言葉の語源について、第112回「雷の三段階」で述べたように、method とは、もともと古典ギリシア語で「道に沿ってゆく」というほどの意味でした。
つまり、なんらかの術を行う際には、その術固有の道に沿って進んでゆくというわけです。それは、かつて道なき場所を先人が切り拓き、踏み固めてできた通り道であり、道があることで、私たちはそこを歩いてゆきやすくもなり、結果的に目的地へも到着しやすくなるのでした。ある術の方法を学び習得することで、その「方法」、道に沿って目的に向かって進めるようになる、という次第です。そう考えると、method とはなんとも含蓄のある言葉ではないでしょうか。
さて、もう一つ検討しておきたいのは英文の出所です。本連載でお世話になっている1865年版の『ウェブスター英語辞典』を見ておきましょう。method の定義は三つ出ており、その最初にこう書かれています。
1. An orderly procedure or process; a rational way of investigating or exhibiting truth; regular mode or manner of doing any thing; characteristic manner.
(Noah Webster, An American Dictionary of the English Language, 1865, p.834)
太字部分にご注目ください。西先生による英文とは異なっていますが、文章のかたちはとてもよく似ています。並べればこうなります。
百学連環:regular mode peculiar to anything to be done
英語辞典:regular mode or manner of doing any thing
ご覧のように、西先生の文では、peculiar という語があって、これは上記の辞書には見られません。また、辞書では”mode or manner”と複数の語を挙げていますが、西先生の文では mode だけです。
この違いはなにによるものか。西先生が実際に参照していた書物は、私たちがこの連載で参考にしている1865年版の辞書とは違うものであるという可能性もあります。その特定には、さらなる調査が必要ですが、いまは措きましょう。
以上のように「方法」について述べたうえで、改めて「体系」と「方法」についてまとめられます。
凡そ學に規模なく術に方法なきときは學術と稱しかたしとす。
(「百學連環」第50段落第10文)
訳します。
もし学に体系がなく、術に方法がない場合は、学術とはいえない。
これは、第119回「体系と方法」で、「學には規模たるものなかるへからす。術には方法たるものなかるへからす」と述べたことと呼応しています。「体系」と「方法」の説明を終えるにあたって、いま一度強調したのだろうと思われます。
さて、次回からは、いよいよこれまで読んできた「百学連環総論」全体のまとめに入ります。
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