「百学連環」を読む

第123回 体系化された歴史学とは

筆者:
2013年8月30日

歴史や博物学のように「体系(システム)」にしがたい学問領域がある。そういう学問を「記述の学問」と呼ぶのだというのが前回の話でした。もう少しだけ、「体系」の話が続きます。

併かし近來に至りては西洋一般に史をシストムに記し得るなり。古來司馬遷の史記を編せしも、本紀より世家、列傳、志と條理立ちて規模に近きものなりとす。當今西洋の史は civilization ち開化を目的とし、之に基きて書く故に、自から規模を得たりとす。

(「百學連環」第50段落第6文~8文)

 

訳してみます。

だが、近来に至って、西洋では歴史を体系(システム)として記すことが一般化している。また、古来、司馬遷が『史記』を編んだ折も、本紀、世家、列伝、志という具合に、筋道立てて体系に近いものに仕立てていた。現代の西洋の歴史では、「文明化(civilization)」を目的と置いて、これに基づいて記すために、歴史が体系となりうるのである。

歴史の出来事を、ただ並べて記述するだけではなく、そこになんらかの構造を与えて、体系とする場合が出てきたという話ですね。『史記』の例が手がかりになります。

『史記』は、全130巻からなる歴史書ですが、その全体が次のような五つの部分に分類されています。

本紀(12巻) 王朝の記録
表(10巻) 年表・月表
書(8巻) 各分野の歴史
世家(30巻) 諸侯諸国の歴史
列伝(70巻) 人物の伝記

西先生が挙げている「志」は、『漢書』に見える分類のことかもしれません。いずれにしても、歴史を出来事の羅列として記述するのではなく、ある観点や分類にのっとって編纂しているわけです。ついでに言えば、西先生は、本講義の本編のほうで、歴史学を解説する中で、こんなふうにも言っています。

司馬遷の作る所の史記は是レ眞の史とは稱しかたきものにて、右に枚擧する所の史類を悉く記載せるものなり。

(「百學連環」第一編、『西周全集』第4巻、78ページ)

 

『史記』は、神話のような古伝やお話(稗史)なども入り交じっているので、本当の歴史とは言い難いという次第です。

その上で、現代の西洋史については、「文明化」という観点から歴史が体系化されていると指摘しています。この時期、「文明」といえば、福澤諭吉が思い出されるところ。「百学連環」講義が行われた明治3年前後、福澤が刊行した『西洋事情』の諸編でも、「文明」や「文明開化」の文字があちこちに見られます。

また、「百学連環」講義より少し後のことになりますが、福澤の『文明論之概略』(明治8年=1875年)は、フランソワ・ギゾー(François Guizot、1787-1874)の『ヨーロッパ文明史(Histoire de la civilisation en Europe)』(1828)やヘンリー・トマス・バックル(Henry Thomas Buckle, 1821-1862/福澤の表記ではボックル)の『イギリス文明史(History of Civilization in England)』(全2巻、1857-1861)を参照しつつ、「文明」を論じたものでした。

これらの歴史書の書名に見える「文明(civilisation, civilization)」とは、civil になること、市民社会の成立という意味でもあります。言い換えれば、王制や封建制に対して国民国家が生まれてゆく過程といってもよいでしょう。そういう観点から歴史を見てとり記述する。そこには体系(システム)がある、という指摘であります。

これもまた「百学連環」の本編を見ると、歴史学を解説する箇所で、日本、中国、ヨーロッパの歴史家の名前を並べているくだりがあります。そこで次のように述べています。

近來西洋に於て最も有名なる史家は Lord Macaulay +1800 -1859、英人にして英國の史をはし、實に system に適ひしものとす。

(「百學連環」第一編、『西周全集』第4巻、80ページ)

 

このマコーリー卿とは、『イングランド史(History of England)』(全5巻、1848-1861)を著したトーマス・マコーリー(Thomas Babington Macaulay、1800-1859)のことでありましょう。

つまり、西先生は、体系のある歴史ということで、マコーリーを念頭に置いていた様子が窺えます。マコーリーの『イングランド史』といえば、いまで言う「ホイッグ史観」の親分のようなもの。大雑把に言えば、現在の観点から、歴史を自由が進展する進歩の歩みとして眺める進歩史観です。たしかにそれは、過去の出来事をただ並べるにとどまらず、ある視座から整序しているという点で、体系を備えていると言えるでしょう。

もっとも、年代記のように一見すると、はっきりと体系が認められないような歴史記述の場合でも、人間にとって無数にあるともいえる出来事のなかから、ある出来事を選びとって並べています。ですから、表だって体系があるとは言えませんが、その場合であっても、なんらかの視点による取捨選択は働いているわけです。

というわけで、「体系(システム)」の議論はこれで終わり、続いて「方法(メソッド)」の話に移ります。

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=歷(U+6B77)
=卽(U+537D)
=著(U+FA5F)

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

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細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
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