中世の研究をしているらしいこの先生、第24回では古フランス語の名詞に曲用(性、数、格によって語尾を変化させること)があることを教えてくれました。この曲用、実は名詞だけではなく、形容詞にもあるようですよ。
学生:先生、こんにちは。今日も古フランス語のことを少しお聞きしたいのですが、構いませんか?
先生:もちろん構わないよ。いよいよ古フランス語を勉強する気になってきたってことだね。
学生:いえ、まだそうと決めたわけではないのですが…… 以前、少しだけお聞きした名詞の曲用の話が興味深かったので、他にも何かお聞かせいただければなと思いまして(苦笑)。
先生:なるほど、そういうわけか。それじゃあ、君が古フランス語にますます興味が持てるように、今日は、形容詞の曲用について話をしようかな。
学生:曲用ということは、古フランス語では、形容詞にも格があるのですか?
先生:そうだよ。古典ラテン語では形容詞にも格があったわけだし、古フランス語にもその名残が見られるんだ。まずは、この表を見てごらん。今回も何か気づくことはあるかな?
男性単数形 | 男性複数形 | 女性単数形 | 女性複数形 | |
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主格 (Cas sujet) | granz | grant | grant | granz |
被制格 (Cas régime) | grant | granz | grant | granz |
学生:以前教えていただいた古フランス語の男性名詞 mur と女性名詞 fille と同じような曲用をしています。ただ、前回は « s » がついていた箇所に、今回は « z » がついていますね。この « z » は何ですか?
先生:中世の写本では、[ts] という音を表すために « z » の文字が使われたんだ。
学生:あっ、ということはもしかすると、granz というのは grants であることを示しているのですか?
先生:ご名答、まさしくその通り。この形容詞は古典ラテン語で「大きい」を意味する grandis, grandem に由来していて、古フランス語では grant という形だった。現代フランス語では grand / grande と性の区別があるわけだけど、古典ラテン語や古フランス語では、男女同形の語だったんだよ[注1]。その理由は、grandis が第3変化形容詞だからなんだ。古典ラテン語の第1・第2変化形容詞は、たとえば bonus(良い)の場合、単数対格では bonum, bonam と男性形と女性形で異なる語尾を持っていて、両者のかたちの違いが古フランス語の被制格では bon, bone、現代フランス語では bon, bonne というように、女性形の語尾に -e がつく元となっている[注2]。でも、第3変化形容詞は男性形も女性形も同じかたちで、両者とも主格は grandis、対格は grandem だった[注3]。だから、この語に由来する古フランス語の grant も男女同形で、女性形の語尾に -e がつかないというわけ。先の表にある被制格の部分を見てごらん、男女ともに同じ形をしているよね。
学生:なるほど、確かに同じ形です。形容詞の曲用も、原則的には名詞の曲用と同じルールなのですね。
先生:そういうことになるね。あと、grant といえば、現代フランス語に影響が残っている部分があるから、ついでに説明しておこう。君は、現代フランス語で、「おじいさん」と「おばあさん」を何と表現するかわかるかい?
学生:grand-père と grand-mère ですよね。それがどうかしたんですか?
先生:grand-mère の方に注目してほしいんだけど、授業でこの単語を扱うと「おばあさん」は女性名詞なのに、なぜ « grande-mère » と形容詞の性が一致しないのかという質問を受けることがよくあるんだ。実はこれ、古フランス語の grant の名残なんだよ。
学生:えっ、どういうことでしょうか?
先生:さっき、古フランス語の grant は男女同形だって説明したよね。だから、当時は grant pere, grant mere などと書かれていたわけさ。grant の被制格の形は、grandis の対格形 grandem に由来するんだけど、古フランス語へと移行していく段階で語末の有声子音 [d] が無声子音 [t] になっていくんだ[注4]。その結果、grand ではなく grant と [t] の音で終わる形が生まれたというわけ。
学生:そのような経緯があったのですね。どうして語末の d が t になったんだろうと思っていたので、スッキリしました。
先生:この話には、まだ続きがあるよ。古フランス語の grant は、中期フランス語では古典ラテン語の grandem にならって grandとつづられるようになったんだ。また一般的な形容詞の女性形の語尾が -e であることのアナロジーで、女性形は grande と表記されるようになったんだよ[注5]。ところが、それまで常に grant を伴って表現されていた語に関しては、合成語として grand の部分が名詞の性に一致されることなく、そのままの形で定着してしまったんだ[注6]。grand-chose(大したこと)とか、grand-rue(大通り)もそうだね。grand-mère も同様に形容詞の性が名詞の性と一致せず、« grand-mère » という形になったというわけなんだ。
学生:なるほど、そういう経緯があったんですね! 理由がわかると、納得できます!
先生:そうだね、ベルギーのブリュッセル中心部にある大広場「グラン=プラス」La Grand-Place の grand が女性名詞 place に一致していない理由も、これで解決できるよね。
学生:grand という形容詞1つ取り上げても、ここまで話が広がるんですね。面白いです。
先生:まだ話は終わっていなくて、他にも現代フランス語に影響が残っている部分があるよ。ちょっとこれを発音してみてくれるかな。
« grand homme »(偉人)
学生:[ɡʀɑ̃.tɔm]……ですよね。
先生:よくできました。さて、ここで問題。どうして君は grand homme を [ɡʀɑ̃.dɔm] ではなく、[ɡʀɑ̃.tɔm] と発音したのかな?
学生:それは…… 改めてそう聞かれると、不思議ですね。なんで d と o のリエゾンを [dɔ] ではなく、[tɔ] と発音するんだろう…… ああっ、わかりました! 古フランス語の grant の名残ですね!
先生:さすが、飲み込みが早いね。正解だよ。一見、grand と homme をリエゾンしたら [d] の音が出てくると思うよね。でも実際に出てくるのは、[t] の音だ。これは君が指摘したように、古フランス語の grant home の組み合わせの発音が、現代にまで息づいているからなのさ。綴りは grant から grand になってしまったけれど、人々の間に定着していた発音はそのまま古い発音が維持されたんだよ。
学生:となると、私たちは中世の人々と同じように、現代フランス語を発音しているということですね。何か言語のダイナミズムみたいなものを感じます。
先生:このように、語末の d がリエゾンされる時に [t] の音が出てくる例は、他にもあるよ。たとえば、quand est-ce que を発音すると、 [kɑ̃.tɛsk(ə)] というように quand と est の間に [t] の音が出てくるよね。これも古典ラテン語の quando(いつ、~の時に)が、古フランス語では quant になっていて、16世紀に語源の d が使われるようになってからも、発音は [t] のまま維持されたからなんだ[注7]。 ちなみに、古フランス語の段階の quant は、quant à の quant(羅:quantum)と全く同じ綴りだったから、両者を区別すべく、14世紀頃からすでに quand という綴りが使われていたらしいけどね[注8]。
学生:話を聞いているとかなり面白くなってきました。今すぐに古フランス語を学び始めるというわけではありませんが、これからも目は向けていきたいなと思います。今日もありがとうございました。
先生:またいつでもおいで。君が古フランス語の世界に飛びこんでくるのを待ってるよ。
[注]