歴史で謎解き!フランス語文法

第29回 フランス語の merci と英語の mercy は同じ意味なの?

2021年10月15日

フランス語で「ありがとう」といえば、メルシー! フランス語の授業を受けたことがなくても、どこかしらで聞いたことのある merci。その由来について紐解いていきます。

 

学生:先生、英語について質問してもいいですか?

 

先生:英語かい? 専門外だからちゃんと答えられるかどうか分からないけど……

 

学生:フランス語にも関係していそうなので、先生に聞いてみようと思いまして……。この前、英語で書かれた本を読んでいたら、会話の中に gramercy という表現が出てきました。意味が分からないので辞書で調べてみたら、感謝を意味する古い言い回しだと書いてありました。これって、フランス語の merci から来ていますよね?

 

先生:そうだね、それはフランス語の grand merci という古風な言い回しが語源である可能性が高いね。

 

学生:今でも grand merci という表現を使ったりするんですか?

 

先生:いや、最近は滅多に聞かないね! どちらかというと、文学的な表現だと思うよ。ただ、イベントやテレビ番組の中では、不定冠詞の un をつけて un grand merci à... という言い方はよく耳にするね。「○○さん、ありがとうございます!」という具合にね。

 

学生:なるほど……。merci というフランス語が、このように英語の中でも残っているんですね。

 

先生:ちなみに、その英語で書かれた本って、何を読んでいたの?

 

学生:ウォルター・スコット Walter Scott の『アイヴァンホー』 Ivanhoe です。

 

先生:なかなか渋い本を読むんだね!

 

学生:はい、歴史小説が好きで、英文学の先生が授業の中で話されていたので、気になって読み始めました。

 

先生:『アイヴァンホー』は12世紀のイングランドを舞台としている小説だから、フランス語由来の表現が自然と出てくるわけだね。

 

学生:しかし、英語の mercy という単語は通常であれば「慈悲」や「情け」という意味がありますよね。よくドラマや映画のセリフで Have mercy、「お願いだから……」という表現を聞きます。

 

先生:実は、英語の mercy も、フランス語の merci も、ラテン語の merces という単語の対格形 mercedem から来ているんだ。本来は「報酬」という意味を持っていたんだけど、中世のラテン語ではとくに宗教的な意味合いで、神からもらう「恵み」を表すようになった。完全なる存在の神が、不完全な人間に恵みをもたらすのは、一種の「慈悲」または「恩恵」と感じられたと推測される。フランス語で書かれた最も古い文学作品だとされている『聖女ウーラリーの続唱』Séquence de sainte Eulalie の中にも、「慈悲」の意味で出てくるんだ[注1]

 

Qued avuisset de nos Christus mercit.

キリストが我々に慈悲をかけますように。

 

学生:最も古い文学作品ですか……いつ頃書かれたものですか?

 

先生:『聖女ウーラリーの続唱』は9世紀の終わり頃に書かれたのではないかとされている。ここではキリストの話をしているけど、人間が「慈悲」を与える、という文脈でも使われているね。情けをかけるという行為から、merci はその後、「親切」、「特別な計らい」、「容赦」という他の意味も加わっていった。例えば、12世紀半ばに書かれたテクストには、次のような言い回しがあったんだ[注2]

 

Et en plorant merci li crient

涙を流しながら彼に容赦してほしいと懇願した。

 

学生:なるほど。これは英語の mercy と同じ感覚で使われていますね。

 

先生:そして、名詞というより間投詞として merci 単独で使う場合もあったようだ[注3]

 

Merci, frans cuens, por Deu de majesté !

気高き伯よ、神の名にかけてご慈悲を!

 

学生:それでは、現代フランス語の「ありがとう」という意味には、いつ頃なったのでしょう?

 

先生:古フランス語の作品で確認できる範囲で言うと、12世紀の段階で感謝を表す言葉として記録されているようだね[注4]

 

Mes Erec mie ne la prant,
einz dit : « Bien va, je ne t’oci.
— Ha ! gentix chevaliers, merci !

エレックはそれ(剣)を手に取ることは全くなかった。
そしてこう言った。「立ち去りなさい、命をとることはない」
「ああ、気高い騎士よ、感謝します!」

 

   このように、もともと命を助けてもらうために使っていた表現が、助けてもらったときの感謝の表現へと、少しずつ意味を変化させたのではないかと思われる。ただ、辞書を引いてみると、一語の merci よりかは、grant merci のように、形容詞と組み合わせた言い方で出てくることが多いね。

 

学生:あ、それが英語の gramercy の語源というわけですか!

 

先生:その通り、英語はフランス語から借用した言葉だったんだ[注5]。ちなみに、merci という名詞は女性名詞と男性名詞、それぞれあるとは知っていた?

 

学生:それは考えたことがありませんでした。

 

先生:女性名詞の merci は「慈悲」を意味していて、sans merci や à la merci de... という表現のもととなっているね。

 

学生:sans merci は英語でいう without mercy なので、「慈悲のない、容赦せず」という意味で、例えば戦いや争いの話をしているときに使える表現だと思いますが、à la merci de... というのはどういう風に使えばいいのですか?

 

先生:この場合の à la merci de... には、もともと慈悲をかけてもらう側が相手の支配下に置かれる、というニュアンスがあると思うんだ。そこから転じて「…の意のままに」、「…に左右されて」という意味になった。エディット・ピアフ Édith Piaf の « C’est lui que mon cœur a choisi » という歌があるのだけど、そこで次のような歌詞があるんだよね。

 

Il n’a pas besoin de parler
Il n’a rien qu’à me regarder
Et je suis à sa merci

彼は話す必要はない
私を見つめるだけでいいの
すると私は彼の虜になってしまう

 

   恋に落ちて、相手の意のままになってしまった、という意味になっている。

 

学生:à la merci de... の前置詞 de がなくても、所有形容詞を使った言い方があるんですね。

 

先生:そう、一方で男性名詞の merci は「ありがとう」という言葉自体を指している。例えば partir sans un merci は「ありがとうの1つも言わずに立ち去る」。会話でも Même pas un merci ! で「ありがとうという一言さえなかったよ!」という風に言うことがあるね。

 

学生:なるほど、今はそれぞれ男性名詞と女性名詞で意味が分かれているんですね。

 

先生:フランス語を少しでもかじったことのある人なら、現代語では merci が「ありがとう」を意味する表現だと知っているけど、ラテン語では merces という言葉を使わず、gratias ago という表現を使っていたんだ。

 

学生:スペイン語の gracias に似ていますね!

 

先生:そうなんだよ、イタリア語でも grazie と言うね。フランス語の grâce は、このラテン語の gratia に由来していて、意味としては「恩恵」、「好意」。

 

学生:先ほどの merces にも近い意味があったんですね。しかし、なぜフランス語は gratia から感謝の言葉を作らなかったのでしょうか?

 

先生:それはとてもいい質問だけど、私もはっきりとした答えを持っているわけではないんだ。ただ、現代語でも rendre grâce à... で「感謝をする」という古風な言い回しが残っていることは注目に値するね。

 

学生:先生でも答えられないことがあるんですね。もう1つ気になったことがありまして、merci は動詞にすると remercier となりますけど、この語頭に来ている re- って何でしょうか?

 

先生:これは専門家の間でも議論が絶えない点だね。何かしらの行為に対する反応ということで、接頭辞の re- がついた、という考え方をする人もいれば、反復の re- という風に理解して「たくさんの感謝をする」という捉え方をしている研究者もいるね[注6]

 

先生:うん、古フランス語では mercier と remercier の2つの形が存在していて、17世紀まで共存していたんだけど、17世紀以降はなぜか remercier のみが残ることになったんだ。

 

学生:そうなんですね。

 

先生:説明のつかない点はまだあるけど、英語との違いは理解できたかな?

 

学生:はい、ありがとうございました!

 

[注]

  1. Séquence de sainte Eulalie, éd. Alexei Lavrentiev, Céline Guillot-Barbance et Thomas Rainsford, Lyon, Equipe BFM, 2014, v. 27. Publié en ligne par l’ENS de Lyon dans la Base de français médiéval. http://catalog.bfm-corpus.org/eulaliBfm (最終アクセス日:2021年10月12日)
  2. Le conte de Floire et Blanchefleur, éd. Jean-Luc Leclanche, Paris, Champion, Les classiques français du Moyen Âge, 1980, v. 2442.
  3. Les rédactions en vers du "Couronnement de Louis", éd. Yvan G. Lepage, Genève, Droz, Textes littéraires français, 1978, v. 2207 (rédaction A1).
  4. Chrétien de Troyes, Erec et Enide, éd. Pierre Kunstmann, Ottawa/Nancy, Université d’Ottawa / Laboratoire de français ancien, ATILF, 2009. Publié en ligne par l’ENS de Lyon dans la Base de français médiéval. http://txm.ish-lyon.cnrs.fr/bfm/catalog/ErecKu(最終アクセス日:2021年10月12日)
  5. 古仏語で形容詞 grant は男女同形だったが、その後中期フランス語に近づくにつれてgrand, grande と性によって語尾が変わるようになった(本コラムの第28回「なぜ grand-mère は « grande-mère » にならないの?」を参照のこと)。そのため、grand merci という表現が原因で、merci という女性名詞が男性名詞であると思われるようになった、と指摘する文法書が多い。Alain Ray の Le Dictionnaire Historique de la langue française でも16世紀頃に男性名詞に変わった、という説明をしている(”Le mot, longtemps féminin (1165), est devenu masculin (1539) à la suite d’une interprétation incorrecte du genre dans la locution figée grand merci où grand, ancien adjectif des deux genres (Cf. grand rue,...), n’a pas pris la marque du féminin.”, REY, Alain, Le Dictionnaire Historique de la langue française, Paris, Le Robert, 2019, p.2176. « merci ».)。
  6. 前者の考え方は、Anscombre, Jean-Claude, “Délocutivité benvenistienne, délocutivité généralisée et performativité”, Langue française, 42, 1979, pp. 69-84.、後者は、 Cornulier, Benoît de, “La notion de dérivation délocutive”, Revue de linguistique romane, 40, 1976, pp. 116-143. に詳しい。
    ジャン・ニコによるフランス語辞典、Thresor de la langue françoyse tant ancienne que moderne(1606年出版)には、mercier と remercier の2つの形が掲載されているが、アカデミーフランセーズの辞書の第1版(1694)からは、mercier という形は見つからない。

筆者プロフィール

フランス語教育 歴史文法派

有田豊、ヴェスィエール・ジョルジュ、片山幹生、高名康文(五十音順)の4名。中世関連の研究者である4人が、「歴史を知ればフランス語はもっと面白い」という共通の思いのもとに2017年に結成。語彙習得や文法理解を促すために、フランス語史や語源の知識を語学の授業に取り入れる方法について研究を進めている。

  • 有田豊(ありた・ゆたか)

大阪市立大学文学部、大阪市立大学大学院文学研究科(後期博士課程修了)を経て現在、立命館大学准教授。専門:ヴァルド派についての史的・文献学的研究

  • ヴェスィエール ジョルジュ

パリ第4大学を経て現在、獨協大学講師。NHKラジオ講座『まいにちフランス語』出演(2018年4月~9月)。編著書に『仏検準1級・2級対応 クラウン フランス語単語 上級』『仏検準2級・3級対応 クラウン フランス語単語 中級』『仏検4級・5級対応 クラウン フランス語単語 入門』(三省堂)がある。専門:フランス中世文学(抒情詩)

  • 片山幹生(かたやま・みきお)

早稲田大学第一文学部、早稲田大学大学院文学研究科(博士後期課程修了)、パリ第10大学(DEA取得)を経て現在、早稲田大学非常勤講師。専門:フランス中世文学、演劇研究

  • 高名康文(たかな・やすふみ)

東京大学文学部、東京大学人文社会系大学院(博士課程中退)、ポワチエ大学(DEA取得)を経て現在、成城大学文芸学部教授。専門:『狐物語』を中心としたフランス中世文学、文献学

編集部から

フランス語ってムズカシイ? 覚えることがいっぱいあって、文法は必要以上に煩雑……。

「歴史で謎解き! フランス語文法」では、はじめて勉強する人たちが感じる「なぜこうなった!?」という疑問に、フランス語がこれまでたどってきた歴史から答えます。「なぜ?」がわかると、フランス語の勉強がもっと楽しくなる!

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