1919年6月28日、ベルサイユ条約の調印により、世界大戦は正式に終結しました。それを待っていたかのように、1919年8月、モークラム社は『テレタイプ』を発表しました。遠隔タイプライターを意味する「Teletypewriter」を、さらに縮めて『Teletype』と命名されたこの機械は、モークラム印刷電信機の弱点を徹底的に改良し、送受信機としての耐久性を高めたものでした。すなわち、活字を埋め込んだ円筒を紙に叩きつけるのではなく、紙の方を活字ホイールに叩きつける構造になっていました。また、これを実現するために、印字に用いる紙を、通常のカット紙ではなく紙テープにしていました。印字を紙テープにおこなうことから、改行機構やキャリッジリターンは、全く搭載されていませんでした。
ただし『テレタイプ』は、マレーの文字コードをそのまま採用していました。この文字コードは、ウェスタン・エレクトリック社製マレー電信機のために、マレーが設計したもので、キャリッジリターンが「---+-」に、改行が「-+---」に、それぞれ割り当てられていました。『テレタイプ』は、キャリッジリターンや改行を受け取っても、実際にキャリッジリターンや改行をおこなうわけではなく、それらに対応する特殊記号を印字するだけでしたが、マレー電信機と直接通信できるよう、キャリッジリターンや改行を送受信する仕組みが準備されていたのです。
これに対しマレーは、あくまで、改行機構や改ページ機構の改良に腐心していました。マレーは、『テレタイプ』が採用した紙テープ印字を、評価していなかったわけではないのです。しかし、複数のメッセージを、一台の遠隔タイプライターで次々に受信するような機構、そして、そのような機構を必要とする時代が必ず来ると、マレーは確信していました。そのために、遠隔タイプライターをもっともっと改良する必要があったのです。そのような改良の一つが、ファンフォールド紙(左右に紙送りのための穴が開けられた連続紙)に、カット紙を次々に装着するという、イギリス特許(G. B. Patent No.142598)でした。残念ながら、この特許は実用化されず、そのままオクラ入りとなりました。けれども、自らが信じる未来の遠隔タイプライターに必要な技術要件と、その実現可能性を徹底的に追及する、というのが、この時代のマレーの研究姿勢だったのです。
(ドナルド・マレー(11)に続く)