タイプライターに魅せられた男たち・第32回

ドナルド・マレー(10)

筆者:
2012年3月29日
『テレタイプ』初期モデル

『テレタイプ』初期モデル

1919年6月28日、ベルサイユ条約の調印により、世界大戦は正式に終結しました。それを待っていたかのように、1919年8月、モークラム社は『テレタイプ』を発表しました。遠隔タイプライターを意味する「Teletypewriter」を、さらに縮めて『Teletype』と命名されたこの機械は、モークラム印刷電信機の弱点を徹底的に改良し、送受信機としての耐久性を高めたものでした。すなわち、活字を埋め込んだ円筒を紙に叩きつけるのではなく、紙の方を活字ホイールに叩きつける構造になっていました。また、これを実現するために、印字に用いる紙を、通常のカット紙ではなく紙テープにしていました。印字を紙テープにおこなうことから、改行機構やキャリッジリターンは、全く搭載されていませんでした。

マレーが設計した文字コード
マレーが設計した文字コード(クリックで大きい画像を表示)

ただし『テレタイプ』は、マレーの文字コードをそのまま採用していました。この文字コードは、ウェスタン・エレクトリック社製マレー電信機のために、マレーが設計したもので、キャリッジリターンが「---+-」に、改行が「-+---」に、それぞれ割り当てられていました。『テレタイプ』は、キャリッジリターンや改行を受け取っても、実際にキャリッジリターンや改行をおこなうわけではなく、それらに対応する特殊記号を印字するだけでしたが、マレー電信機と直接通信できるよう、キャリッジリターンや改行を送受信する仕組みが準備されていたのです。

これに対しマレーは、あくまで、改行機構や改ページ機構の改良に腐心していました。マレーは、『テレタイプ』が採用した紙テープ印字を、評価していなかったわけではないのです。しかし、複数のメッセージを、一台の遠隔タイプライターで次々に受信するような機構、そして、そのような機構を必要とする時代が必ず来ると、マレーは確信していました。そのために、遠隔タイプライターをもっともっと改良する必要があったのです。そのような改良の一つが、ファンフォールド紙(左右に紙送りのための穴が開けられた連続紙)に、カット紙を次々に装着するという、イギリス特許(G. B. Patent No.142598)でした。残念ながら、この特許は実用化されず、そのままオクラ入りとなりました。けれども、自らが信じる未来の遠隔タイプライターに必要な技術要件と、その実現可能性を徹底的に追及する、というのが、この時代のマレーの研究姿勢だったのです。

ドナルド・マレー(11)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

安岡孝一先生の新連載「タイプライターに魅せられた男たち」は、毎週木曜日に掲載予定です。
ご好評をいただいた「人名用漢字の新字旧字」の連載は第91回でいったん休止し、今後は単発で掲載いたします。連載記事以外の記述や資料も豊富に収録した単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もあわせて、これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。