ハノイでの講義の終盤に、漢字圏で使われている漢語の比較についても話してみた。
「注意」は、4か国で相似している。それぞれ発音してみると、笑いが聞こえる。
「豆腐」は、ベトナム語では漢越語で「ダウフー」のようにいう。日本語の漢語「とうふ」と中国語の「トウフ」は仮名で書くと同じに見えるが、韓国では漢字(ハンチャ)語で「トゥブ」、やや違いが目立つ。英語になったtofuは、中国からか、あるいは日本からだろうか。
「豆腐」は、日本では、腐るという字を避けて「豆富」になってきた、と言うと、「ア~」と声を上げ、笑みをこぼし納得している。漢字と豆腐の本家である中国では、日本でのこの意識が不本意に感じられるそうで、意外がられるところだ。「分家」同士、少し距離があるだけに、わかり合えるのかもしれない。
この連載で取り上げたことも、実際にいくつか話してみた。お金の単位はドンだが(第64回)、「銅」と意識しているのか、はっきりとは確かめられなかった。かつてフランス語とベトナム語(中国語ではない)で書かれたお金には、漢字で「元」と書いてあったとのこと、これは1951年や1953年などに発行された紙幣のことであろう。そのころはまだ紙幣に「越南民主共和」(右から横書き)「伍仟元」(縦書き)などと、漢字が印刷されていた。
出かけた時期では、1000ドンがだいたい日本円で4円。ついでに、1ドルは81円。ドンは「000000」などと常に「0」が多すぎて、計算が難しい。「267981ドン」といった端数は目にしない。円高以前に国内のインフレにより、日本人はお金持ちになった気分には浸れそうだ。実際に物価が安く、とくに書籍は1/10程度だ。日本に輸入されると途端に高くなるのだろうが、それは中国本も同じだ。マッサージも、怪しげなところもあるが中国よりもかなり安い。時計のドンホーは漢字ならば「銅壺」、この古めかしい表記には笑いが起きた。
「饅頭」は、ベトナムでは丸い「マンダウ」で、中には春雨・大豆などいろいろなものを入れるとのこと。食事のおかずとしても食べるところが、日本とも中国とも違っている。
「茶」はtrà、それと関連するであろうcheという語形のほか、英語風にティーとも言うそうだ。「ティータイムだからお茶にしよう」と言える日本と少し似ている。緑茶もあちこちで出してもらえるが、日本の渋く濃いお茶になれてしまっていると、下手をすると出がらしのように感じられるかもしれないほど、渋みがなく淡い味だ。
さらに「画餅」という語に関連して、「「餅」という漢字を見て思いつく物は?」と尋ねてみた。
手ぐらいの大きさの丸いもの、それはバインセオだとのこと。この字からイメージされる食品を絵に描いてもらうと、中国、韓国、日本の間でそれぞれ違っていたのだが(第28回・第29回)、やはりさらにベトナムでも異なっていた。各国の食文化が、漢字の字義にも影響を与える過程や一因を、見て取ることができたように思えた。
「節」は、日本人も「テト」で知ってはいると話すと、日本語では「teto」と末尾に母音が付く、と先生から指摘が出る。子音、それも内破音である入声も、1音節にすることで日本語として落ち着かせたのである。「ストライク」など西洋からの外来語でも同様なのだが、関東では無声化が起こりやすく、説明が複雑になりがちだ。
「博士」を「進士」(ティエンシー)と呼ぶことは既に触れたが、ベトナム語でその「進士」といえばどういう人をイメージするか聞いてみた。古い時代の「◇」形で左右に垂れた紐か何かが付いた帽子を被った、アオザイを着た人、という姿が思い浮かぶのだそうだ。日本のように、白衣の紋切り型のイメージはないと言う。ベトナムでも世に学生語、若者語はあるとのことだが、博士には役割語のような口調も特になく、日本のアニメソフトの影響は、まだそこまでは及んでいないようだ。現実の博士には、日本と違って何段階か設けられているそうで、若手研究者は中国よりも一層、大変そうだった。