漢字の現在

第198回 佐賀の地名と姓の漢字

筆者:
2012年6月29日

 牛津

これは「うしづ」だが、期せずしてオックスフォードへの当て字と一致する。大分の「宇佐」はローマ字表記が「USA」と偶然に一致するなど、九州では地名の重なり方も何だか国際的だ。さらに客席にうかがってみる。

 「中島」も多い姓だそうですが、何と読みますか?

「佐賀では「なかしま」です」。前に座っている品の良いご婦人のお一人がおっしゃる。「サザエさん」の作者である長谷川町子は、出身がこの佐賀で、福岡で育ったのだそうだ。そこに登場する中島の名は、実は脚本家が設定したそうだが、原作者にとっても身近な姓だったのだろう。ただ、その「じ」という濁音は、長谷川町子が途中から引っ越した世田谷がアニメの舞台とされる可能性があったとはいえ、関東風の読みであり、どうお感じだったのだろうか。「高木」も「たかき」、与賀町も「よかまち」だそうだ。大阪の「山崎」、新潟の「五十嵐」なども、東京に染まれば濁るのだ。

この日、70代の男性は会話の中で、「やまさき」と2回目まで発音し、3回目は「やまざき」と自然に発音していた。

「○富」という姓もこの地では多い。「成富」は「なりとみ」だと言う。東京辺りではなんとなく「なるとみ」と読まれている。戦国武将の成富(兵庫)茂安(なりとみ(なりどみ)(ひょうご)しげやす)は、佐賀では皆が知っている人だという。「福富」は「ふくどみ」と、意外なことに濁る傾向があるそうで、東京では「ふくとみ」をしばしば耳にする。

この辺りの出身という牧瀬里穂に、テレビで片岡鶴太郎が本名なの、と驚嘆していたのを覚えているが、なるほど「牧瀬」は地名でも見かけた。

 鳥栖

「とす」。アクセントは「と」が高く、スは無声化している。サガントスは方言では佐賀の鳥栖という意味が含まれているそうだ。

 水流

で「つる」と読む姓は、もう少し南の宮崎・鹿児島に多い。「靏」という29画にも達する字があるのだが、それを用いた姓が九州に目立つ、と日本経済新聞社で校閲を担当されている方がお話し下さったことがあった。この字体はツル、そしてそれに当てた「鶴」自体の使用が多いため、その崩し字を会意風に楷書化し、それが整形された字体も結果として多いと解釈される。先にいただいた小学校の文集にも、その姓があった。

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「鶴」が「鶴」を経たのか「霍+鳥(霍+鳥)」となり、「靍:雨×(隹+鳥)」を経て「靏」になった。小学校の名簿でも見かけたことがあり、当時、どんなに大きな漢和辞典にもないことに衝撃を受けた、思い出の字だ。日本語研究者の靏岡昭夫氏は東京生まれだそうだが、この字について直接伺えたことがある。また、崩し字からは「靎」も派生した。元禄時代の資料に、すでにこの派生した字体について記録されている。

これとともに電話帳でかつて見かけた「さんずい+鶴(さんずい+鶴)」は、雨冠をさんすいへと変えたものだろうか。一方、「つる」は簡易化も進んだ。「隺」よりも画数は増えても運筆のせいか書きやすい「寉」は、山形の「鶴岡」でかつてよく使われていたことを、これは朝日新聞社の記者さんに確かめてもらえた。今では手書きそのものが減り、この地域略字も減少しているのだそうだ。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。