留学生が博士論文の謝辞欄に書いた「筆者の間違いをいちいち直してくださった先生」がおかしい,これでは先生の「品」や「格」が危うくなってしまうということは前回書いた。だが,これは実は受け取り方によっては,そうおかしくはない。おかしいかおかしくないかは,受け取り方次第である。いや,受け取り方次第ではおかしくなるような文を謝辞欄に書くのはやはり問題だが,受け取り方について少し補足しておきたい。
まず確認しておきたいのは,「いちいち」が動作主の「品」や「格」に直接結びついているわけではないということである。「いちいち」は動作のやり方がいかにもうるさく,コセコセして,面倒だという「マナー」違反を表しており,だからそういうやり方をする者は「品」や「格」が高くはない,という間接的な形で「品」や「格」に結びついているに過ぎない。
したがって,そうした「マナー」違反が自由意志によるものではなく,やむを得ずおこなう義務的なものだ,という形にすれば,「品」や「格」の低下はましになる。これは,「内面排除の文脈における不適格性不問効果」として既に紹介したことでもある(補遺第47回)。たとえば次の(1)では,
(1) あの人はチームメイトの間違いをいちいち直す。
話題の人物は『イヤミな小人物』で「品」も「格」も低いという解釈が強いが,次の(2)のように,「マナー」違反が不可抗力によるものだと描けば,
(2) あの人はチームメイトの間違いをいちいち直さなければならない。
「気の毒に,ご苦労様」となって悪印象が薄まり(といっても『神』や『女神』にはそぐわない振る舞いであることに変わりはないが),「品」や「格」はさほど低くならない。
先の(1)にしても,よくよく考えてみれば,そのような解釈は不可能ではない。「チームメイトの間違いをいちいち直す」というのは,うるさくコセコセしており面倒ではあるが,チームにとっては必要な,いわば「汚れ仕事」であって,誰かがしなければならない。その汚れ仕事をあの人は進んで引き受けるのだ,という意味合いで(1)を眺め直してみれば,話題の人物の「品」や「格」はさほど低くはならない。これは,「先生がまちがいをいちいち直す」がおかしくないという受け取り方とも言える。さらに次の(3)のように,「マナー」違反を極端な,誰にとっても見過ごせないものにすると,
(3) あの人はチームメイトの間違いをいちいち,うるさく,ネチネチと,しつこく直す。
さすがに当人も,自分の行動が傍目にどう映っているかを意識しないでもないだろう。見栄えが悪く,自分の「品」や「格」を低く認定され,チームメイトをはじめ関係者から恨まれ疎んじられること,つまり自分にとって損になることを承知の上でやっているのだ。とすると,自己顕示や憂さ晴らしといった利己的な理由ではなく,「思うところあって」,すなわち「チームメイトのため」「チームのため」といった利他的な理由でやっているのではないか,という形で,「汚れ仕事を進んで引き受ける」解釈が若干強まる,ように私は思うのだが,(3)の素直な解釈が「イヤミ」解釈であることは動かない。「姑による嫁いびり」「先輩による後輩のしごき」「上司によるパワハラ」といった報道はあとを絶たないが,これも「汚れ仕事を進んで引き受ける」解釈(姑・先輩・上司)と,「イヤミ」解釈(嫁・後輩・部下)の衝突と言えるかもしれない。
また,(1)を次の(4)のように過去形にして「物語」らしくすると,
(4) あの人はチームメイトの間違いをいちいち直した。
「物語」としての期待が解釈に影響することもある。期待というのは「表面的にはいかにもそのような泥臭い振る舞いをしている者こそが,実は本物の『ヒーロー』なのではないか。ストーリーを追っていけばやがてチームメイトが大きく成長するなどして,そのことが明らかになるのではないか」というもので,読者がこういう期待を持てば,登場人物(あの人)の「品」や「格」を低く判断することには留保がかかる。このような『泥臭いヒーロー』については後で触れることにしたい。