クラウン独和辞典 ―編集こぼれ話―

27 辞書から消えた言葉

筆者:
2008年10月20日

辞書が次々と生まれる新語を片っ端から採録すると、頁数は際限なく増大していく。利用の便宜や目的などを考慮すると、辞書の形態には一定の限度があるから、新語の採録・補充の一方では、当然のことながら廃語の除去や不要な記述の削除・短縮が要求される。しかし、辞書の利用者が向き合う文書にはあらゆる時代のものを想定しなくてはならず、姿を消した言葉だからといってむやみに削るわけにはいかないし、詩歌や格調の高い文に用いられる古語や雅語の取捨選択の兼ね合いも難しい。

『クラウン独和 第4版』の編修に際して第3版から削除した見出し語は、例えば以下のものである。まず、意味の自明な複合語、例えばDurchhaltevermögen (持久力);Einwanderungsverbot (移民禁止);Maschinenschaden (機械の故障);Waschseife(洗濯石鹸)など、利用者が各構成語の意味をつなぎ合わせて考えるだけですむもの。次には、現在ではもうほとんど使われなくなったか、もしくは使われなくなりつつある言葉、例えばHaarschneidemaschine (バリカン);Narrenhaus(精神病院); Tippfräulein(女性タイピスト);Wartefrau(子守り女)の類。一頃活躍したFernschnellzug(長距離急行列車)はもう消してもよいが、Fernschreiber(テレックス)はまだ使用なされる向きもあるかと思い、残してある(私の周りにはまだワープロやガリ版の愛用者がいるくらいだから)。Dink(子供のない共稼ぎのカップル)は第3版に新語として入ったばかりだが、第4版ではもう削った。流行り廃りの激しい言葉の好例である。それから、一般性の薄い古語や方言、例えばAngebinde(贈り物);Milchbruder (乳兄弟);Milchschwester (乳姉妹);Nocke (スープへ入れる団子); Tuschfarbe(水彩絵の具)なども削除の対象とした。Taburett(腰掛け)はスイス以外ではもはや使われていないのでカットした。Autodroschke (タクシー)は除いたが、Droschke は古風な呼び方としてまだオーストリアでは使われているので残した。さらにまた、DDR(東独)にあった制度、例えばAspirant から([大学院の]後継研究者);Aufkommenから([農産物の]供出)などの語義は消したが、 DR([旧東独の]ドイツ国有鉄道)はドイツ鉄道史に残る概念として削らなかった。

その他、記述の重複を避けて紙面の節約を計った。例えば Jeder kehre vor seiner Tür. (諺:自分の頭のハエを追え)は見出し語のkehren と Tür の二ヶ所に載っていたのを、kehrenのほうを削ってTür のほうを残した。同様に慣用句のnoch nicht trocken hinter den Ohren sein(まだ青二才である)も、trocken と Ohr の両方にあった記述を trocken のほうを削って Ohr にのみ残した。

このような努力のおかげで、前に打ち明けたように新語のために一千行以上も行数が増えたのに(編集こぼれ話18参照)、本文の全頁数は第3版の1706から第4版では1726と20頁(約2560行)の増加で抑えることができた。あるいは努力にもかかわらず20頁も増えてしまったと言ったほうがよいかも知れない。因みに初版の本文頁数は1623であった。その間には三省堂の編集者の工夫で頁の組み方を変え、1頁当りの文字数も増やしている。吟味と選択と検討を重ねた上での頁数の増加であるから、内容の充実ぶりは単に増えた頁の量だけでは計り切れない。

筆者プロフィール

『クラウン独和辞典第4版』編修主幹 信岡 資生 ( のぶおか・よりお)

成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典第4版』編修主幹

編集部から

『クラウン独和辞典』が刊行されました。

日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

(第4版刊行時に連載されたコラムです。現在は、第5版が発売されています。)