シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―

第三十三回:治癒の方法③ 遠隔地の医療事情

筆者:
2020年3月13日

怪我や病気をしたとき、ハンティはおまじないや何らかの効能があるとされる食物を使用することもありますが、現在では現代医療も頻繁に頼ります。少数民族に対する援助政策のひとつとして、村や森に暮らすハンティは公営の医療施設での診察や検査、一部の手術等を無料で受けることができます。ただし、薬代は自己負担のため、継続的な治療が難しいこともあるようです。また、病院のある都市や町から遠く離れた集落や森に暮らしている人々は、我々のようにすぐに現代的な医療にアクセスできるわけではありません。

ヘリコプターでヌムトにやってきた医師たち(2011年11月筆者撮影)

ヌムト集落には医療施設はなく、約300キロメートル離れた町から2、3名の医師が派遣されます。彼らは数か月置きに2週間臨時診療所に住み込みで滞在し、訪れた人の診察や検診をします。

ヌムト集落には居住せずに、そこから数十キロメートル離れた森でトナカイを放牧して暮らす人々もいます。そういった人々は医師が来るときに合わせて集落までやってきます。さらに手術や入院が必要な場合は、ヘリコプターで町まで行きます。

ヌムトの臨時診療所のようす(2011年11月)

筆者がヌムト集落である世帯に滞在していたとき、家主の親戚のおばあさんと息子が夜中に駆け込んで来ました。家主が一体どうしたのか話を聞くと、おばあさんは以前から肝臓を患っており、急に容態が悪くなったので、明日来る予定のヘリコプターで町の病院に行きたいから一晩泊めて欲しいということでした。おばあさんを見ると、顔色が悪く、苦しそうに息をしています。家主が快諾すると、おばあさんは家に入って来るなり、毛皮の上着も履物も脱がずに薪ストーブの横の床にそのまま倒れ込むように横になりました。マイナス40度近い夜、トナカイ橇(ぞり)に乗って数十キロメートル駆けて来たため、毛皮の上着と履物には大きな霜がつき、皮が冷たく硬くなっていました。体もとても冷えていただろうと思います。家主は、おばあさんのために床にトナカイの毛皮を敷き、上から毛布を掛けてあげました。私はそのすぐ隣にあるソファーで寝ていたので、病気のおばあさんを床で寝かせてしまい、たいへん申し訳ない気持ちになりました。その夜は、おばあさんの容態が気になり、不安と心配でなかなか眠れませんでした。

翌日、おばあさんはヘリコプターで町の病院に運ばれ無事入院できたそうです。このように、森やツンドラの中で突然大きな怪我や病気をしても、移動にかなりの時間を要し、治療が遅れかねません。その一方で、遠隔地で人口が比較的少ない場所の病院は閉鎖傾向にあるようです。オブゴルト村には、処方箋薬局が併設された公立の病院があり、医師も看護師も数名常勤していましたが、この病院も数年後になくなるそうです。

オブゴルト村の病院(2018年8月)

ひとことハンティ語

単語:Сэмңәна кӑши.
読み方:セムネナ カーシ。
意味:目が痛いです。
使い方:痛いところを指さしながら、「Кӑши(カーシ)」(「痛いです」という意味)と言ってもいいです。

筆者プロフィール

大石 侑香 ( おおいし・ゆか)

国立民族学博物館・特任助教。 博士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

編集部から

おばあさんが無事に入院できてよかったですね。隣で横に寝ていた大石先生もさぞ落ち着かない夜を過ごされたことでしょう。どんなに健康に気を付けた生活をしている人でも突然の怪我や病気は起こり得るので、閉鎖が決まったオブゴルト村の公立病院も、規模を縮小して存続されるとよいのですが、、、。次回の更新は4月10日を予定しています。