『日本国語大辞典』をよむ

第110回 腹ごなしと頭ごなし

筆者:
2023年9月24日

「ハラゴナシ」も「アタマゴナシ」も現代日本語で使う語だ。小型の国語辞書、例えば『岩波国語辞典』第八版(2019)には次のように記されている。同じような小型の国語辞書である『新明解国語辞典』第八版(2020)、『明鏡国語辞典』第三版(2021)、『三省堂国語辞典』第八版(2022)も併せて示す。

はらごなし【腹ごなし】運動などをして、食物の消化を助けること。「―に散歩する」(岩波国語辞典)

あたまごなし【頭ごなし】人の言うことも聞かずに最初からがみがみ言ったり、おさえつけたりすること。「―に叱りつける」(岩波国語辞典)

 

はら ごなし [3][0]【腹ごなし】―する(自サ) 現在、腹〔=胃〕にあるものの消化促進のために、散歩など軽い運動などをすること。(新明解国語辞典)

あたまごなし [4]〔この場合の「こなす」は、けなす意〕相手の言い分を聞かず、はじめから決めつけること。「―にしかりつける」(新明解国語辞典)

 

はら-ごなし【腹熟し】[名] 食後に軽い運動などをして、食べた物の消化を助けること。||「―に散歩する」(明鏡国語辞典)

あたま-ごなし【頭ごなし】[名] 相手の言い分を聞こうともせず、最初から一方的に押さえつけるような態度をとること。||「―にしかりつける」[✔注意]「頭越し」と混同して、当事者の立場を無視して働きかける意で使うのは誤り。||「×頭ごなしの交渉」(明鏡国語辞典)

 

はらごなし[腹ごなし]⦅名・自サ⦆食べ物の消化を助ける<こと/運動>。「―に散歩する」(三省堂国語辞典)

あたまごなし[頭ごなし] ①〔相手の言い分も聞かず〕はじめから決めつけること。「―に しかりつける」②「頭越し」の言いまちがい。(三省堂国語辞典)

「ハラゴナシ」は「ハラ+コナシ」と分解でき、「コナシ」は動詞「コナス」の連用形だろうということも推測できそうだ。『岩波国語辞典』は「コナス」の語義を4つに分けて「①細かく砕く」「②食物を消化する」「③物事を処理する」「④習得して自在にあつかう。要領をおぼえて自由に運用する」と説明し、さらに「「読み―」の「こなす」も「頭ごなし」の「こなし」も(4)の一用法」と「補足的説明」をしている。ほんとうに些細なことであるが、語義では④のように丸囲みの算用数字が使われていて、「補足的説明」では(4)(しかも縦ではなくパソコンなどで表示しにくい横囲みの丸括弧)が使われていることは気になる。

それはそれとして、『日本国語大辞典』に「ハラゴナシ」「アタマゴナシ」は次のようにある。「コナス」も併せて掲げておく。「コナス」の使用例は紙幅の都合で省く。

はら ごなし【腹熟】〔名〕(「はらこなし」とも)食物の消化がよくなるように、食後に軽い運動などをすること。はらなやし。*滑稽本・浮世風呂〔1809~13〕前・上「腹こなしに鞠(まり)を初めたでごっす」*俳諧・七番日記-文化一〇年〔1813〕五月「ふくれ蚤腹ごなしかや木にのぼる」*黴〔1911〕〈徳田秋声〉七八「二人は腹ごなしに銀座通をぶらぶら歩いた」

あたま ごなし【頭─】〔名〕相手の言い分を全然聞かないで、初めから一方的に押さえつけるような態度をとること。頭下(くだ)し。*浄瑠璃・善光寺御堂供養〔1718〕三「さ程国を持あまさば、本領ことごとく取上ん、罷立秀俊とあたまごなしにきめつくれば」*浄瑠璃・須磨都源平躑躅〔1730〕四「者ども、彼奴には構はず品照姫を引立ていと頭ごなしに罵るにぞ」*虞美人草〔1907〕〈夏目漱石〉一六「此間の松見た様に頭(アタマ)ごなしに叱られるからな」

こな・す【熟】〔他サ五(四)〕〔一〕形あるものを細分する。粒状、また粉状にする。(1)細かくする。砕いて細かくする。粉砕する。(2)土などを耕しならす。土を掘り起こして砕き細かくする。(3)稲、麦、豆などの穀類を穂から落として粒にする。脱穀する。(4)食物を消化する。〔二〕上位に立って他を思いのままに扱う。(1)思いのままに自由に扱う。与えられた仕事、問題をうまく処理する。(2)思うままに処分する。片づける。征服する。(3)見くだす。軽蔑する。軽く扱う。(4)いじめる。ひどい目にあわせる。苦しめる。〔三〕補助動詞として用いる。他の動詞に付いて、その動作を要領よく、巧みにする意を添える。うまく…する。

小型の国語辞書のうち、『明鏡国語辞典』と『三省堂国語辞典』は「頭越し」の意味で「頭ごなし」が使われていることについてふれている。次に掲げるのは2014年9月2日の『朝日新聞』の記事であるが、この「頭ごなし」は「頭越し」の意味で使われていると思われる。こうした使われ方が少し前から新聞にもみられることがわかる。(編集部注:「頭ごなし」の強調は筆者による)

「容認なんて言っていない。なぜこう書けるのか分からない!」
 施設の建設計画をめぐり、「地元容認へ」と朝日新聞などが報じた8月27日朝。伊沢町長は自ら関係者に電話をかけて怒りをぶつけた。住民に容認したと受け止められれば、地権者の頭ごなしに勝手に決断したととられるからだ。

「コナス」がまずは〈形あるものを細分する〉つまり〈細かくする〉という語義で、それが〈他を思いのままに扱う〉という語義に転じた。この転義も少し「飛躍=ギャップ」があると、少なくとも筆者は感じる。しかしここは認めることにしよう。〈思いのままに扱う〉がエスカレートすると〈いじめる・苦しめる〉になる。これも認めるとしよう。しかし、どうも落ち着かないのは、「腹ごなし」であれば〈腹の中をコナス〉であるのに、「頭ごなし」が〈頭をコナス〉ということであるのかどうか、というところだ。他人の頭を粉砕するから、こちらの思い通りに扱うことができる? 『日本国語大辞典』が示している〔一〕と〔二〕の語義はほんとうにつながるのか、という根本的なところにひっかかりを感じる。ここから先は、「おそらくは」ということになるが、「頭ごなし」の「コナシ」が「腹ごなし」の「コナシ」と、母語話者でも結びつきにくい。母語話者は、わかりにくい語に遭遇したら、まず分解するだろう。それでもわかりにくい。次は、文全体の意味=文意からの類推だろう。小型の国語辞書は揃って「頭ごなしに叱りつける」を用例として掲げている。この用例と「頭越しに決めつける」は文脈によってはちかくなることがある。「アタマゴナシ」と「アタマゴシ」とは発音もちかい。語を単独でみた時の語義のわかりにくさ、語が使われる文脈での意味の接近、語の発音、この三拍子が揃って、「アタマゴシ」の意味で使われる「アタマゴナシ」がうまれはじめたというのが「おそらくは」、別名「筆者の妄想」だ。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。