『日本国語大辞典』をよむ

第109回 「アゼ」の謎

筆者:
2023年8月27日

「校倉(造)」と聞くと、ああ、あれだなと思う方が多いだろう。『日本国語大辞典』の見出し「あぜくら」には次のようにある。

あぜくら【校倉】〔名〕(「あぜぐら」とも)三角の木材を組み合わせて造る校倉造りの建物。上代から中世にかけて、主に倉庫として用いられた。*二十巻本和名類聚抄〔934頃〕一〇「倉廩 ★字附 〈略〉釈名云倉七岡反甲倉〈古不久良〉校倉〈阿世久良〉」(編集部注:★は、木偏と「致」から成る字)*新猿楽記〔1061~65頃〕「御許夫飛騨国人也、位大夫大工〈略〉御厩、叉倉、甲蔵等之上手也」*古本説話集〔1130頃か〕六五「大きなるあぜくらのあるを開けて、物取り出でさするほどに」*色葉字類抄〔1177~81〕「反倉 アセクラ」*日葡辞書〔1603~04〕「Ajegura (アゼグラ)」*元和本下学集〔1617〕「叉庫 アゼクラ」 語誌 アゼはアゼナワ(絡縄・糾縄)のアゼと同じく、組み合わせる、縒り合わせるという意味のアザフ(「観智院本名義抄」「叉」の訓)と関係があろう。「叉倉」〔新猿楽記〕、「叉庫」〔元和本下学集〕とも表記される。正倉院文書やいくつかの寺院の縁起資財帳に見える「甲倉(こふくら)」も同様のものと見られるが、一方で「二十巻本和名抄」や「新猿楽記」のようにアゼクラと併記されることもあり、その関係ははっきりしない。(以下略)

『日本国語大辞典』が最初にあげている「用例」は二十巻本『和名類聚抄』である。『和名類聚抄』巻第十の「居処部・居宅類」に「ソウリン(倉廩)」という漢語が見出しになっている。「ソウリン(倉廩)」は〈穀物倉〉であるが、語釈の中に「甲倉」「校倉」があって、それぞれに「古不久良」、「阿世久良」と記されている。前者は「コフクラ」、後者は「アゼクラ」を書いたものと思われる。この『和名類聚抄』の記事によって、漢字列「校倉」と「アゼクラ」とは結びつく。

「アゼクラ」という語は、「アゼ+クラ」と分解できそうだ。そうすると「アゼ」で作った倉なのか? とか、とにかく「アゼ」が知りたくなる。『日本国語大辞典』が説明しているように、「三角の木材を組み合わせて造る」のが「アゼクラ」であるとすると、「アゼ」がそのような語義であってほしいことになる。また漢字列「校倉」は「校」と「倉」とに分かれそうなので、「校」に何かそうした字義があってほしい。しかし、『大漢和辞典』は〈交わる〉という字義はあげているのみで、そこから「三角の木材を組み合わせる」ということになるかどうか、これもはっきりとはしない。

「語誌」欄には、「組み合わせる、縒り合わせるという意味のアザフ」という語と「関係があろう」とある。「アザフ」は「アザ」に動詞をつくる「フ」が下接してできたとみると、その「アザ」の「ザ」の母音が[a]から[e]に交替した形が「アゼ」ということになる。観智院本『類聚名義抄』は「交叉」の「叉」にこの「アザフ」という和訓を配しているので、ここまでの「みかた」はひとまずは成り立ちそうではある。

しかし、12世紀の半ば頃にはできていたと思われている三巻本『色葉字類抄』(尊経閣文庫蔵)は漢字列「反倉」に和訓「アセクラ」(巻下・25丁裏1行目)を配している。これが『日本国語大辞典』が引用している「色葉字類抄」だ。元和本『下学集』は「叉庫」という漢字列をあげているので、もしかしてと思い、同じ尊経閣文庫に蔵されている二巻本の『色葉字類抄』(永禄8年写)を確認してみると、「叉倉アセクラ」(巻下下・1丁裏6行目)とある。このことからすると、三巻本『色葉字類抄』の「反倉」は「叉倉」のおそらく誤写であろう。

これで「反」と「アゼ」との結びつきがわからないという問題が解決した。しかしまだ疑問はある。『和名類聚抄』は「甲倉」と「コフクラ」、「校倉」と「アゼクラ」とを結びつけているが、「コフクラ」と「アゼクラ」との関係がわからない。また「甲」の音は「コー」なので、「コフクラ」の「コフ」が「甲」の音に対応する場合は、「コウクラ」は「音+訓」で成り立つ語、すなわち「重箱読み」の語、漢語と和語とが複合した語ということになる。そういう語は『和名類聚抄』にはない、ということでもないが、多くはないだろう。そうなると、この「コフ」はほんとうに「甲」の音か、という疑問が生じる。

結局、あまりはっきりしないが、「アゼクラ」と結びつきそうな漢字列として「校倉」「叉倉」があり、何か関係がありそうな漢字列として「甲倉」がある。なにやらもやもやする結果になった。校倉造りといえば、正倉院を代表として「ああ、あれか」とわかる方が多そうだと最初に書いた。そのように、実物はわかっているのに、この場合は「アゼクラ」の「アゼ」の語義がはっきりしない。こういうこともある、とまとめていいかどうかわからないが、そうまとめるしかないので、そうするが、「こういうこともある」。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。