『日本国語大辞典』をよむ

第108回 あせだくとつゆだく

筆者:
2023年7月23日

牛丼などのつゆが多いことをあらわす「ツユダク」という語がある。いつ頃から使われているのか見当をつけるために、『朝日新聞』の記事に検索がかけられる「朝日新聞クロスサーチ」を使って「つゆだく」で検索すると、51件のヒットがある。もっとも古い記事は、1998年の7月4日の記事で、記事には「「つゆだく」は、つゆをたくさんかけること。「つゆだく」「つゆ抜き」といった注文は以前からあったが、女子高校生の間に広まったのは一年ほど前から。人気歌手の華原朋美さんがテレビで「つゆがたくさんかかった牛どんが好き」と言い、ブームに火をつけたらしい」とある。『毎日新聞』の記事に検索がかけられる「毎索」の「簡易検索」で「キーワード」に「つゆだく」を入れて検索すると、17件のヒットがある。こちらのもっとも古い記事は、2003年12月20日のもので、記事には「よしぎゅうつゆだくちょっとゼイタク」とあった。『読売新聞』の記事に検索がかけられる「ヨミダス歴史館」で検索をかけると2002年11月6日の記事がもっとも古い記事だった。

そもそも新聞でよく使われるような語とは考えにくいので、使用の早い遅いには差があるが、1998年頃には新聞でも使われるようになっていたとみることができるだろう。もう20年以上使われていることになる。「ツユダク」の「ダク」は「アセダク」の「ダク」と重なる。『日本国語大辞典』の見出し「あせだく」「あせだくだく」「だくだく」には次のようにある。

あせだく【汗─】〔形動〕(「だく」は「だくだく」の略)汗でびっしょり濡れるさま。また、物事に精を出しているさまにいう。*海に生くる人々〔1926〕〈葉山嘉樹〉二五「わが、団扇の様な万寿丸は、豚の様な体を汗だくで、其全速力九ノットを出してゐた」*放浪時代〔1928〕〈龍胆寺雄〉一・四「汗だくになって駒形へ戻った」*ガトフ・フセグダア〔1928〕〈岩藤雪夫〉一「投炭、鑵換(かまかへ)、給水、汗だくな立て続けの労働だ」

あせだくだく【汗─】〔形動〕汗でびっしょり濡れるさま。汗びっしょりなさま。汗だく。*プラクリチ〔1932〕〈幸田露伴〉「高くとまって澄ましてゐた者が、ほこりまみれになって汗だくだくで自転車を市に走らすやうな境界の者の同類となったりする」

だくだく〔副〕(「と」を伴って用いることもある)(1)胸などがはげしく鼓動するさまを表わす語。どきどき。*史記抄〔1477〕一二・刺客「心動胸がたくたくとしたぞ」*ロドリゲス日本大文典〔1604~08〕「ムネガ dacudacuto (ダクダクト) スル」*波形本狂言・内沙汰〔室町末~近世初〕「身共の番じゃと思へば胸がだくだくする」*浄瑠璃・淀鯉出世滝徳〔1709頃〕下「おなかのつかへだくだくと、胸に踊るをさすりさげ」(2)汗や血などが連続して、はげしくわき出して流れるさまを表わす語。*雑俳・智恵車〔1716~36〕「乳母は乳をだくだくこぼす初の首尾」*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉九「汗をだくだく流しながら」*青銅の基督〔1923〕〈長与善郎〉六「痛みを以ってだくだくと血が流れ出さずにはゐなかった」(3)勢いよい走り方やその歩みの音を表わす語。*日葡辞書〔1603~04〕「Dacudacu (ダクダク)〈訳〉副詞。馬が疾駆するさま」(以下略)

「だくだく」がもともとは「胸などがはげしく鼓動するさま」であるとすれば、「ドキドキ」と重なる。「ダク」(daku)と「ドキ」(doki)はローマ字で比べるとわかるように、「ダク」の[a][u]の母音が[o][i]に変わった、母音交替形であるとみることができるので、かつてはつながりがあったかもしれない。そして語義の(2)には、「汗や血などが連続して、はげしくわき出して流れるさまを表わす」とある。その〈激しい動き〉は語義(3)の「勢いよい走り方」につながる。

現代日本語でも「汗がだくだく流れる」と表現する。そういう状態を「汗だく」と表現するので、なんとなく状態をあらわしているように思ってしまうが、もともとは「だくだく流れる」のように、動きの形容、様態をあらわす語であったと思われる。「汁だく」は〈つゆがだくだくとでてくる〉ということではなく、「〔どんぶり物などで〕汁しるをたくさん入れること」(『三省堂国語辞典』第八版)なのだから、「汁だく」の「ダク」は「動きの形容」ではないことになる。「あせだく」という語から「だくだく」感が後退して、動きがあまり感じられなくなり、その「ダク」から「ツユダク」がうまれたということであろうか。

さて、「だくだく」の語義(3)にあげられている『日葡辞書』の例をみて、「ダクアシ」という語が思い浮かんだ。子供の頃に、『シートン動物記』と『ファーブル昆虫記』が好きで繰り返し読んでいた時期がある。『シートン動物記』の中に「だく足の野生馬」(The Pacing Mustang)というタイトルがあった。この「だく足」が子供には理解しにくかったので、かえって記憶に残ったのだろう。「ダクアシ」は「ナミアシ(並足)」(walk)と「カケアシ(駆足)」(canter)の中間の変則的なはやあし速歩(trot)とのことだ。長年の謎がとけた、というとおおげさであるが、いろいろなことがつながる瞬間がある。調べてみると、子供の頃に読んでいたのは、偕成社から出版されていた全6冊のシリーズの改訂版であったことがわかった。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。