荻原井泉水に「紫陽花七いろけさはけさの空の色にさく」という句がある。自由律俳句であるので、「五七五」にはなっていないが、「紫陽花」は何? はクイズにはなりそうもない。多くの人が「アジサイ」と答えるだろう。
ところが、というところから今回の話が始まる。『日本国語大辞典』には次のような項目がある。見出し「あじさい」もあわせてあげておこう。
あずさい[あづさゐ]【紫陽花】〔名〕「あじさい(紫陽花)」に同じ。*二十巻本和名類聚抄〔934頃〕二〇「紫陽花 白氏文集律詩云紫陽花 和名安豆佐為」*温故知新書〔1484〕「木栖 アツサイ」(以下略)
あじさい[あぢさゐ]【紫陽花】〔名〕(1)ユキノシタ科の落葉低木。ガクアジサイを母種とする園芸品種。茎は高さ一・五メートルほどで根元から束生する。葉は対生し大形の卵形か広楕円形で先がとがり、縁に鋸歯(きょし)をもつ。夏、球状の花序をつけ、ここに花弁状のがく片を四または五枚もつ小さな花が集まり咲く。がく片は淡青紫色だが、土質や開花後の日数等により青が濃くなったり、赤が強くなったりする。茎は材が堅く、木釘、楊子をつくり、花は解熱剤、葉は瘧(おこり)に特効があるという。あずさい。しちだんか。てまりばな。ハイドランジア。学名はHydrangea macrophylla 《季・夏》*万葉集〔8C後〕二〇・四四四八「安治佐為(アヂサヰ)の八重咲く如く彌(や)つ代にもいませわが背子見つつ偲(しの)はむ〈橘諸兄〉」*新撰字鏡〔898~901頃〕「★ 安地佐井」(編集部注:★は、艹+便から成る字)*夫木和歌抄〔1310頃〕九「あぢさゐのよひらの八重にみえつるははごしの月の影にぞ有ける〈崇徳院〉」*俳諧・焦尾琴〔1701〕風・牡丹の篇「あぢさいや鵜の目かへしの山一つ〈梅扇〉」*日本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「アヂサヰ」(2)ユキノシタ科アジサイ属の総称。ガクアジサイ、ヤマアジサイ、ハマアジサイ、タマアジサイ、コアジサイ、ツルアジサイなどを含む。学名はHydrangea(3)紺屋で、藍建ての際、藍びんに赤銅色となって浮く藍の泡を(1)に見立てていう語。*雑俳・柳多留-一五〔1780〕「瓶の蓋明けてあぢさいかき廻し」(4)((1)の花の色が変化するところから) 気の変わりやすい人、冷淡な人をいう、女学生間の隠語。〔かくし言葉の字引{1929}〕語誌(1)「あじ(あぢ)」は「あつ」で集まること、「さい」は真藍(さあい)の約で、青い花がかたまって咲く様子から名付けられたと思われる。(2)あじさいの花が日本の文学に登場するのは「万葉集」が初めてであるが、古代・中世の和歌にはあまり見えず、平安後期・鎌倉期には「よひら(四片)の花」などと添えたり言い換えたりして詠まれた。(3)近世以降、芭蕉をはじめ、俳句の中に多く詠み込まれ、夏の季語として定着した。(以下略)
『万葉集』に「安治佐為」とあり、これは「アヂサヰ」を文字化したものと思われるので、8世紀の日本語に「アヂサヰ(アジサイ)」が確実にあった。一方、934年頃に成ったと考えられている『和名類聚抄』は漢字列「紫陽花」に「和名」すなわち和語「安豆佐為」を対応させているので、10世紀には「アヅサヰ(アズサイ)」という語形があったことになる。『日本国語大辞典』が『和名類聚抄』の次に掲げている「用例」は15世紀の辞書である『温故知新書』で、あまり「用例」があげられていない。「アヂサヰ」の「ヂ」の母音が[i]から[u]に変わると「アヅサヰ」となる。したがって、両語形は母音交替形の関係にある。
2つの見出しから考えられることは、「アヂサヰ」という語形がおそらくまずあって、10世紀頃には「アヂサヰ」の母音交替形である「アヅサヰ」という語形もあった。しかし「語誌」は「アヂサヰ」の「アヂ」は「「あつ」で集まること」と説明している。そうであれば、まず「アヅサヰ」という語形があっていいことになり、『日本国語大辞典』があげている「用例」の「新旧」と「語誌」欄の説明があわないようにもみえる。今ここでは、「用例」に従って、「アヂサヰ」がまずあって、「アヅサヰ」が後発したとみておくことにしたい。
蕪村に「朝顔にうすきゆかりの木槿かな」という句がある。この「木槿」もクイズにはなりそうもない。こちらも「ムクゲ」と答える人が多いだろう。ところが『日本国語大辞典』には次のような見出しがある。「むくげ」とあわせて示す。
もくげ【木槿】〔名〕「むくげ(木槿)」に同じ。《季・秋》*重訂本草綱目啓蒙〔1847〕三二・灌木「木槿〈略〉もくげ 佐州雲州」*和英語林集成(再版)〔1872〕「Mokuge モクゲ 槿花」(以下略)
むくげ【木槿・槿】〔名〕アオイ科の落葉低木。中国、インド原産で、観賞用に生垣や庭木として植栽される。高さ約三メートル。幹は灰白色。葉は柄をもち卵形で三裂し、縁に粗い鋸歯(きょし)がある。夏から秋にかけ、径五~一五センチメートルの五弁花が咲く。花は朝開いて夜しぼみ、淡紅・白・淡紫色などがある。果実は卵円形で熟すと五裂に裂ける。漢方ではつぼみを乾燥したものを木槿花(もくきんか)と呼び、煎じて胃腸カタルや腸出血に用いる。一説に、古く「アサガオ」と称したのは、この花をさしていたという。漢名、木槿。はちす。もくげ。ゆうかげぐさ。学名はHibiscus syriacus 《季・秋》*類従本撰集抄〔1250頃〕五・高野参詣事「頭とて髪の生ふべき所には西海枝の葉と、むくけの葉とを、灰に焼きて付け侍りて」*尺素往来〔1439~64〕「槿花(むくけ)」*俳諧・野ざらし紀行〔1685~86頃〕「道のべの木槿は馬にくはれけり」*日本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「ムクケ 木槿」(以下略)
現代日本語では「ムクゲ」という語形を使っているが、『和英語林集成』の再版が「モクゲ」という語形を見出しにしていることからすれば、明治期には「モクゲ」という語形が使われていたとみるのが自然であろう。ただし、だからといって「ムクゲ」が使われていなかったということにはならない。『言海』は「むくげ」を見出しとし、『漢英対照いろは辞典』は「もくげ」「むくげ」どちらも見出しにしている。「木槿」は漢語「モクキン」をあらわすにあたって使われる漢字列であるが、「木」は「モク」という音を持っているので、漢字列「木槿」が「モク」という音と結びつきやすいということはありそうに思われる。「ムクゲ」と「モクゲ」とは「ム」と「モ」との母音が交替した関係、すなわち母音交替形の関係にある。『日本国語大辞典』があげている「用例」から判断すれば、「ムクゲ」が先にあって、「ムクゲ」にあてる漢字列「木槿」の「木」にひかれて「モクゲ」という語形が後発したというのが1つの「みかた」だろう。
森鷗外のいわゆる「ドイツ三部作」、「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」のうち、「舞姫」と「文づかひ」は鷗外の自筆原稿が現存し、複製が刊行されている。「文づかひ」の自筆原稿3枚目裏4行目において鷗外は漢字列「木槿」の振仮名をいったん「むくげ」と書きながら、「む」の上から紙を貼って「も」に修正している。この「文づかひ」の自筆原稿はそのまま初出である『新著百種』第12号(明治24年1月28日刊)の印刷用原稿になっており、「舞姫」の自筆原稿とは異なり、修正がほとんどみられない清書原稿である。それでも鷗外は「ムクゲ」ではなく「モクゲ」にしたかった。上に述べたように、そもそも「ムクゲ」という語形があって、「モクゲ」が後発したのであれば、なぜその後発語形を使いたかったのだろうか。あるいは「ムクゲ」と「モクゲ」の語史・語誌について、鷗外は上に述べたこととは異なる理解をもっていたのだろうか。筆者にとっては、振仮名を修正した小さな貼り紙が、非常に気になる。