今回は「タシカ」という語をめぐって、「語の成立」と「漢字との結びつき」と2つのことがらについて述べてみたい。
『日本国語大辞典』の見出し「たしかめる」をまず掲げてみよう。
たしかめる【確】〔他マ下一〕[文]たしか・む〔他マ下二〕あいまいな事を、調べたり尋ねたりしてはっきりさせる。まちがっていないかどうか念をおして見とどける。*郊外〔1900〕〈国木田独歩〉二「鬼か蛇か若くは一目小僧か大入道か其を確(タシカメ)て」*行人〔1912~13〕〈夏目漱石〉塵労・二二「その信偽も程度も丸で確(タシカ)める訳に行かなかった」*月暈〔1953〕〈島尾敏雄〉「ちょっとZ夫人の気持を確かめることが出来たらと思い」
上には1900(明治33)年以降の使用例しかあげられていない。「辞書」欄も「表記」欄もない。ということは、『日本国語大辞典』が「辞書」欄で採りあげているような辞書には「タシカメル(タシカム)」は載せられていないということになる。明治24年に刊行を終えた『言海』も「タシカム/タシカメル」を見出しにしていない。粗っぽくはなるがわかりやすくいえば、1900年以前には「タシカム(タシカメル)」という語はなかったようにみえるということだ。現代日本語ではごく自然に「タシカメル」という語を使っているので、「?」となるが、気をとりなおして「タシカ」を調べてみると次のようにある。使用例の一部を省略して引用する。
たしか【確─・慥─】(「たしに」の「たし」に、接尾語「か」の付いたもの)【一】〔形動〕(1)真実があってしっかりしているさま。心にすきがなくて動揺しないさま。(略)*新撰字鏡〔898~901頃〕「切々 太志加爾」*竹取物語〔9C末~10C初〕「つかうまつる人の中に心たしかなるを選びて、小野のふさもりと云人をつけてつかはす」(略)*書陵部本類聚名義抄〔1081頃〕「密 タシカナリ」(略)(2)実があって信用できるさま。あぶなげなく、安心できるさま。*万葉集〔8C後〕一二・二八七四「★(たしかなる)使を無みと情をそ使に遣りし夢に見えきや〈作者未詳〉」(編集部注:★は、偏が忄、旁が「送」の旧字体)(略)(3)(多く「たしかに」の形で副詞的に用いる)ことの実現に間違いのないさま。確実であるさま。*蜻蛉日記〔974頃〕上・天暦一一年「まゐりこまほしけれど、つつましうてなん、たしかに来とあらば、おづおづも」(略)*源氏物語〔1001~14頃〕夕顔「たしかにその事をぞ見ましとの給ひて」(略)(4)間違いなく判断できるさま。あやふやな点がなくはっきりしているさま。明確なさま。*古今和歌集〔905~914〕仮名序「宇治山の僧きせんは、ことばかすかにして、始め終りたしかならず」(略)(5)間違いなく正確なさま。ぴたりと当たっているさま。*落窪物語〔10C後〕二「たしかに案内せさせてこそおりさせ給はましか」【二】〔副〕かなりの確実性をもって物事を決めつけたり、推察したりしていう。間違いなく、あるいはそれに近い程度に。(略)
「タシカ」の使用例には9世紀末から10世紀初めにかけて成ったと考えられている『新撰字鏡』を初めとして、奈良時代や平安時代の使用例があげられている。ということは「タシカ」ははやくから使われていた語ということになる。
上の「「たしに」の「たし」に、接尾語「か」の付いたもの」という説明は少しわかりにくいかもしれない。〈十分・確実〉の意味をあらわす「タシ」という語基(語の構成上基幹的な要素)があって、それに「ニ」がついたものが「タシニ」で、「カ」がついたものが「タシカ」とみたほうがわかりやすいだろう。そうすると「タシカ」という語ができあがってから「タシカム」(タシカメル)という語形がうまれるという「順番」がはっきりしてくる。「タシカ」に「ナリ」や「ニ」がつけば状態をあらわすことになる。本篇が1603年に成った『日葡辞書』は「Taxicana」(タシカナ)を見出しにして、語釈中に「Taxicani」(タシカニ)「Taxicasa」(タシカサ)をあげている。
うっかりすると、動詞「タシカム」がまずあって、そこから「タシカ」や「タシカニ」「タシカナリ」が派生したように思ってしまうかもしれないが、「タシ」がまずあって、そこから「タシニ」「タシカ」がうまれ、さらに「タシカニ」「タシカナリ」がうまれたとみるのがよさそうだ。
次に「タシカ」「タシカメル」という語がどのような漢字と結びついていたかを話題にしたい。つまり「タシカ」「タシカメル」という語を漢字で書こうと思った時に、どの漢字を使うかということだ。常用漢字表は「確」に「たしか」「たしかめる」の訓を認めているので、現代日本語母語話者は、「タシカ」「タシカメル」と漢字「確」の結びつきをたしかなものと自然に思う。しかしそうでもない。1610(慶長15)年に出版された漢和辞典『和玉篇』においては、「確」に「カタシ」「マコト」「サカシ」「アキラメテ」の4つの和訓しか配置していない。そして、明治時代に出版された漢和辞典である、木村品太郎編輯『明治大広益会玉篇大全』も藤田善平編輯『鼇頭註解玉篇』も「確」には「カタシ」という和訓しか配置していない。
筆者が今回話題としていることに気づいたのは『日本国語大辞典』の見出し「あざかえす」に使用例としてあげられていた「色葉字類抄〔1177~81〕「確論 アサカヘシ アラソフ 乱逆詞、カクロン」をみたことがきっかけだった。『色葉字類抄』は「確論」の「確」を動詞「タシカム」で説明しておらず、「確」を〈繰り返して調べる〉という語義をもつ「アザカヘシ」で説明していたことを知ったことがきっかけだった。やはり『日本国語大辞典』は日本語についていろいろなことを気づかせてくれる。