『日本国語大辞典』をよむ

第105回 いろいろなおとこ

筆者:
2023年4月23日

雑誌『新青年』の1923(大正12)年4月春季増大号に載った「二銭銅貨」が江戸川乱歩の探偵小説作家としてのデビュー作とされる。その4か月後に、雑誌『新趣味』の懸賞小説に応募した「真珠塔の秘密」が一等入選してデビューしたのが甲賀三郎(1893~1945)である。その甲賀三郎の「支倉事件」に次のようなくだりがあった。「支倉事件」は1927(昭和2)年1月15日から6月26日まで『読売新聞』に連載されている。漢字列「無頼漢」には「ごろつき」と振仮名が施されている。

 後には本人にも云わせましたが、初めに気づきましたのは私の弟なのです。こいつは誠に手のつけられない奴で、酒から身を持ち崩して今は無頼漢ごろつき同様になって居ります。誠に重々恥しい事ばかりです。(日本探偵小説全集1『黒岩涙香 小酒井不木 甲賀三郎集』1984年、創元推理文庫、274頁)(編集部注:太字は筆者による)

 もし彼が人間味のない冷血漢であって、支倉の自白に多少でも強制の痕がある事を認めたら、恐らく後日自白を飜えしはしないかと云うことに考え及んで、抜きさしならない証拠の蒐集にかゝったであろう。(同上、479頁)(編集部注:太字は筆者による)

『日本国語大辞典』の見出し「ぶらいかん」「れいけつかん」には次のようにある。「れいけつかん」には「用例」があげられていないので、甲賀三郎「支倉事件」の例を昭和2年の使用例として示すこともできる。

ぶらいかん【無頼漢】〔名〕無頼な男。ならずもの。ごろつき。無頼者。*都繁昌記〔1837〕乞食「狭邪の無頼漢、只熱に因んと欲」*重右衛門の最後〔1902〕〈田山花袋〉三「この主人公が即ち二人の山の中から出身した昔の無頼漢なるもので」*伊豆の踊子〔1926〕〈川端康成〉六「無頼漢(ブライカン)のやうな男に途中まで路を案内してもらって」

れいけつかん【冷血漢】〔名〕温情に欠けている男。薄情な男。

「ブライカン」「レイケツカン」は現代日本語でも使うことはあるだろうが、「ブライカン」はあまり使われない語になりつつあるかもしれない。『朝日新聞』の1985年から2022年2月14日までの記事に「聞蔵Ⅱ」を使って「無頼漢」で検索をしてみると、ヒット数は91件しかない。1年間に3回、新聞記事で使われる程度ということになる。「ボウカン(暴漢)」「チカン(痴漢)」はもう少し使われている語のように思うので、同じように検索をしてみると、743件のヒットがあるので、「ボウカン(暴漢)」のほうがまだ使われていることになる。「痴漢」は4967件で、使用は多い。(編集部注:検索ヒット数は原稿執筆当時(2022年2月15日)のもの)

「無頼漢」「冷血漢」「暴漢」「痴漢」と「漢」が末尾にある語を並べた。「常用漢字表」は「漢」に訓を認めていない。だから、「漢」の意味を訓に置き換えて理解しにくい。「常用漢字表」の例の欄には「漢字 漢語 門外漢」の3語が置かれている。「漢字」「漢語」の「漢」は〈中国の王朝の漢〉の意であることがすぐにわかるだろう。一方、「門外漢」の「漢」は〈男〉の意である。「門外漢」のように〈男〉という意味の「漢」が含まれる語が使われていることからすれば、「おとこ」という訓を認めてもいいように思う。さて、「~漢」には次のようなものもある。

くうとうかん【空頭漢】〔名〕(頭の中がからの男の意)ばかな男。*北史-斛律金伝「帝罵若云、空頭漢合殺」

こくめんかん【黒面漢】〔名〕顔色の黒い男。*不如帰〔1898~99〕〈徳富蘆花〉上・七・一「赤道近き烈日に焦されたる為、愈以て大々的黒面漢(コクメンカン)と相成り」

たんぱんかん【担板漢】〔名〕(「たんはんかん」「たんばんかん」とも。板をかつぐ男の意から)かついだ板に妨げられて一方しか見えないように、物事の一面だけを見て大局を見ることができない人のたとえ。*伝光録〔1299~1302頃〕般若多羅尊者「両般なしと会するも、なほこれ担板漢なり」*花鏡〔1424〕舞声為根「担板感云、惣・舞・動に至まで左右前後とおさむべし」*狂雲集〔15C後〕止大用庵破却「認定盤檐板漢禅、衲僧作略豈膠絃」*文明本節用集〔室町中〕「担版漢 タンハンカン 只見一方義也」*俳諧・一字般若〔1772〕「汝は七名八躰の上へ不出、担飯漢なり」*新しき用語の泉〔1921〕〈小林花眠〉「担板漢(タンハンカン) 事の一面のみを見て、全局を見渡すことの出来ないものにいふ語」

なんこつかん【軟骨漢】〔名〕態度などが軟弱で、権勢などに屈しやすい男子。意志薄弱なおとこ。こしぬけ。*社会百面相〔1902〕〈内田魯庵〉電影・三「変節漢ぢゃ、軟骨漢ぢゃ、政治生命は絶えたと、世間の評判が喧ましかったぢゃらう」*報知新聞-明治三六年〔1903〕五月二四日「軟骨漢ども一人も出すことはならぬ」

「クウトウカン」や「ナンコツカン」を、「あなたは空頭漢なのね」とか「彼は思ったよりも軟骨漢ね」と使ってみるとおもしろいかもしれない。とにかくいろいろな「漢」がある。「タンパンカン」はやや哲学的にも思われるが、古くから使われていた語だ。さてここまで「~漢」を並べてきて、「ドンカン」を思い浮かべた方がいるかもしれない。『日本国語大辞典』には次のようにある。「どんかん(鈍感)」の補注も併せて掲げておくことにする。

どんかん【鈍漢】〔名〕(形動)頭のはたらきがにぶいこと。また、そのさま。まぬけ。→「どんかん(鈍感)」の補注。*文明本節用集〔室町中〕「鈍漢 ドンカン 無智義也」*蔭凉軒日録-文明一七年〔1485〕一〇月一五日「相公曰、伴衆如何。愚曰、報之。愚又往喚御伴衆。畠山中務少輔殿、佩御剣。鈍漢之故遅参」*京大二十冊本毛詩抄〔1535頃〕一〇「みなみとよまうすれ共鈍漢なほどにみんなみとはするぞ」*地蔵菩薩霊験記〔16C後〕三「されば前生にては法師にて愚痴鈍漢の徒(いたづら)者なり」*日葡辞書〔1603~04〕「Doncan (ドンカン)。ニブイ コト。すなわち、ドンナ」*旧五代史-司空挺伝「鈍漢乃辱我」補注 室町時代から明治頃まで「才幹(な)」の対立概念として用いられた。また、近世の滑稽本や洒落本では「見せるものは銭もふけ、見るが鈍漢(べらぼう)なりと思ふに」〔滑稽本・風来六部集-放屁論〕、「彼(かの)大通の大びらに銭金つかふを鈍漢(こけ)と譏(そし)り」〔洒落本・大通どらの巻〕とあるように、「鈍漢」に「べらぼう」や「こけ」などの振仮名を付けた例も見える。

どんかん【鈍感】(略)補注 現在では「敏感」の対立概念として「鈍感」と書くが、明治以前は「鈍漢」と表記された(「漢」は「人」の意)→どんかん(鈍漢)。

「ドンカン」は現在では「鈍感」と書くが、実はやはり「鈍漢」であった。補注は、もともとは〈鈍な男〉という語義の「ドンカン(鈍漢)」が室町時代頃から使われていたが、明治頃から「ビンカン(敏感)」が使われるようになって、「ビンカン(敏感)」の対義語のように理解されたために「鈍感」という漢字列が使われるようになったことを述べている。〈鈍感な男〉が「ドンカン(鈍漢)」だったという、少々意外な、かつややこしい話になった。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。