仕事柄,入試問題や期末試験その他,いろいろな試験問題の作成に関係することがある。その多くは「~に関して考えるところを述べよ」といった記述問題だが,「~に関する正しい記述はどれか。選択肢1~4から一つ選べ」のような選択問題を作成するということも,まったくないわけではない。その場合,正しい選択肢と間違った選択肢を作る必要があるが,気を付けなければならないのは,「見るからに選択肢」を作ってはいけないということである。これは私一人の考えではなく,問題作成者(つまり私)を統括する上位組織からもうるさく言われることである。
「見るからに選択肢」とは何か? それは「見るからに正しい選択肢」や「見るからに誤っている選択肢」のことだが,単に正誤判断が易しすぎる選択肢を作るなというわけではない。重要なのは,受験者に対して問うべきことが問えていない,そういう選択肢を作ってはいかんということである。
例として,自動車運転免許の試験を考えてみよう。この場合,受験者に対して問うべきは,交通に関する規則などの理解如何である。だが,もしも選択肢に「運転中は周囲の様子にやたらに注意する」とあれば,受験者は交通に関する知識がなくても「「やたら」とあるから誤りだろう」と,ことばに関する感覚から正誤を判断できてしまう。つまり「やたら」は動作を行う者(運転者)の「格」や「品」を下げる「マナー」違反のことばだと知っているだけで,この選択肢の正誤判断(しかも正しい判断!)ができてしまう。これが私の言う「見るからに選択肢」(この場合は「見るからに誤っている選択肢」)である。
だが,このような「見るからに選択肢」を完全に除外することは実は難しい。たとえば「やたら」を「十分に」変えて「運転中は周囲の様子に十分に注意する」とすれば,この選択肢は途端に「見るからに正しい選択肢」っぽい,随分もっともらしいものになってしまう。いくぶん和語らしい「様子」を漢語らしい「状況」に改め,「運転中は周囲の状況に十分に注意する」とすれば,もはや正しい選択肢としか見えないだろう。しかし,その「十分に」を悦楽的な匂い漂う「たっぷり」に置き換え,「運転中は周囲の状況にたっぷり注意する」とすれば「見るからに誤っている選択肢」に逆戻りである。そもそも「周囲の状況に注意する」には「よそ見する」と紙一重の部分があるが,「よそ見」は「マナー」違反のことばであり,これが入ればもう「見るからに誤っている選択肢」にしかならない。
たとえば「この標識のある道路では最高時速50キロで走行できる」に比べて「この標識のある道路では最高時速50キロで走って何ら問題はない」があやしく感じられるように,そして「事故を起こしたら負傷者の救助を最優先する」に比べて「事故を起こしたらとにかくまず負傷者を救助するのがいい」がもっともらしさに欠けるように,また「運転前には運転計画を立てなければならない」に比べて「運転前には運転計画を立てればいい」が誤りらしく感じられるように,選択肢の判断は「熟考は善。短絡は悪」といった倫理規範にも影響され,実は微妙なところが多い。(そしてこの倫理自体の妥当性も,「熟考」を「ぐずぐず考え続けること」に,「短絡」を「スピーディな判断」に置き換えればあやしくなる。) 試験問題で確かめたいのがそうした倫理規範の習得如何ではなく,「誰でもこの規則を守れば最低限の安全は保証できる」という交通規則の理解如何なのであれば,その目的に応じた選択肢を作る必要があるだろう。「マナー」(つまりキャラクタ)は,こうした問題の作成にも深く関わっている。