今回から10回くらいの見当で呪文について考察します。まずは,呪文の定義からはじめましょう。呪文とは,超自然的な力にはたらきかけて一定の行為・現象の成就を祈願することばである,とします。私がすぐに思いつく呪文と言いますと,次のようなものです。
(6) a. アブラカダブラ b. テクマクマヤコン c. マハリクマハリタ,ヤンバラヤンヤンヤン
「アブラカダブラ」は呪文の代名詞のようなことばで,その由来も古くラテン語まで遡れるようです。ですが,フィクションの世界以外で実際に呪文として使われているのを耳にした人は,まずいないでしょう。次の「テクマクマヤコン」は,アニメ『ひみつのアッコちゃん』(古い!)で主人公がほかの誰かに変身するときに唱える呪文ですし,「マハリク…」のほうは,同じくアニメの『魔法使いサリー』(さらに古い!)の主題歌のなかで切り株から家を造ってしまうときの呪文です。いずれにせよ,現代日本語で呪文と言えば,いくつかの例外を除けば,フィクションのそれを想起するようです。
呪文は,多くの人にとって日常のことばから外れた,訳のわからない存在かもしれません。厄除けや地鎮のために行うお祓いの祝詞も,死者の供養に唱えるお経も,冒頭の定義に照らせば立派な呪文なのですが,「呪文」ということばには,お経や祝詞にはない,何やら怪しげなニュアンスが付きまといます。もっとも,そのような怪しげなものであっても,ことばである以上は,ほかのテクストと同様,まじめな分析の対象となります。テクストに貴賤の差はありません。
では,呪文はどのような点でふつうのことばと異なっているのでしょうか。
第一に,非日常的な性格が挙げられます。呪文は日常の会話にはほとんど見られません。使われる場面が定まっています。まじないを行うにしろ,宗教的な儀式を行うにしろ,一般の会話とは異なる特定の場面が指定されます。
さらに,発話に際して私たちが日ごろ現実的に信じている因果律から外れる点でも,日常のことばと異なります。たとえば,「締め切りは守ります」と言えば,ことばを発することによって約束の行為を行ったことになります。呪文もことばを発することによって一定の行為を成就させようとする点では,約束などの行為と同じです。しかし,(少し古いことばですが)「くわばら,くわばら」と言って,落雷(やそのほかの災厄)を避けようとする行為は,ことばと災厄とのあいだに超自然的な因果関係――「桑原」と唱えたら雷神が嫌がる――を認めています。この点が通常のことばの用法と異なります。
第二の特徴として,その難解さが挙げられます。呪文は,意味が分かりにくいものです。ことばは,ふつう聞き手に理解されることを前提としますが,呪文はそのかぎりではありません。(6)で挙げた3つにしても,何を指し示しているのか不明ですし,また,全体で一語なのか,部分に分節できるのかさえ,わかりません。これを呪文の難解性と呼ぶことにします。
この呪文の難しさには理由があります。ひとつは,先に述べた非日常性を高めるためです。呪文は日常とはかけ離れた超自然的な行為・現象を勧請します。したがって,そのために用いられることばは,日常のことばとは異なる意味不明なものが都合よいのです。
では,呪文は誰にとって「意味不明」なのでしょうか?
観客にとってです。呪文が唱えられる場では,呪文を唱える術者(話者)に加えて,しばしば観客が居合わせます。たとえば,地鎮祭には祝詞を唱える宮司のほかに,建物を建てる施主や関係者が列席しています。この人たちはたいてい祝詞の意味を知りません。
これに対し,呪文を唱える宮司は呪文の意味を知っています。この知識の差は術者に対し一定の権威をもたらします。権威ある者が唱えるからこそ,意味は不明ですが,ありがたいのです。つまり,呪文はそうあるべくして難解であるのです。