モノが語る明治教育維新

第1回―唐澤富太郎と博物館

2016年8月9日
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唐澤博物館外観

唐澤博物館についてお話ししましょう。

練馬の住宅街の一角に、茶色の3階建て、角に青い三角屋根がちょこんと載っている塔屋があるのが唐澤博物館です。窓枠には大八車の車輪がはめてあり、ガス灯を戴いた門の下では、昔懐かし校庭の二宮金次郎像がお客様をお出迎えです。外壁のてっぺんには、亀の子文字で哲学者カントの句「人間は教育によってのみ人間となることができる」が金色に輝き、道を歩く人の足を止めています。

この館の創設者、唐澤富太郎は明治44年生まれの教育史研究者です。明治5年開校の師範学校を前身とし、教育学研究の中心であった東京教育大学で日本教育史の教鞭を取り、その生涯を研究に捧げた人でした。

教育史の学校中心史観に疑問を呈し、昭和20年代には校外の子どもの暮らしや社会にまで視野を広げた生活教育史をいち早く提唱、30年代には従来の文献中心の研究に飽き足らず、実物による新しい教育史の開拓を志し、教育史資料を求め全国各地を走り回りました。

その収集はまさに執念の一言、「先生の回った後にはめぼしいものは何も残らない」と研究者の間では評判だったと聞きます。

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昭和40年3月21日発行の朝日新聞 実物による日本教育史の開拓を志し、資料収集に燃えていた唐澤富太郎と揺籃期の博物館を取材した記事。左は研究アシスタントの妻・てる子

例えば館の階段の手すりは、鳥取県から貨車一台を借り切って運んできたものです。擬洋風の風格ある明治20年創立の小学校が新しい校舎に建て替えが決まり、解体され製材所に運ばれていたものをせめて部分だけでも保存したいとの思いからでした。高度成長期は特に昔のものを簡単に処分する時代でした。「人の顧みない時に、顧みられないことに対する義憤から見つけ次第買い集めた」「時に自らの経済力を超える出費に不安を覚えつつも、研究への情熱がまさった」と当時を振り返っています。

モノには先人の知恵と心が詰まっている、実物を実際に見て、触って歴史の魂にじかに触れたい!!実物から学ぶ意義を一番よく知っている人でした。館内には学校教育史資料をはじめ、玩具や文具、人形、そろばん、今は見かけない手仕事の道具など、七千点が所狭しと展示されています。百聞は一見に如かず、実物の持つ迫力に触れに是非ご来館ください。

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明治20年創立の倉吉市成徳学校(鳥取県)で使われていた階段の手すりを、昭和43年に当館に移設。親柱がわらびの形を模していて個性的

筆者プロフィール

唐澤 るり子 ( からさわ・るりこ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

『図説 近代百年の教育』

編集部から

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。