前回,呪文の特徴として分かりにくさを取り上げました。この難解さに着目すると,呪文はふたつのパタンに分けられるようです。真正型と普及型と呼ぶことにします。
ず,真正型の呪文の例として光明真言を取り上げましょう。法事で繰り返し唱えられるのを聞いた方もいらっしゃるのでは?
(7) オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラマニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン
光明真言とは,大日如来(もしくは金剛界五仏)に対して光明を放つように祈願するもので,仏の光明によってさまざまな罪報を免れることを勧請します。
(7)の原典はサンスクリット語で,中黒で区切られた各部分が梵字1字に対応しています。その由来はどうあれ,一般の人には最初から最後まで解読不能です。そして,術者(僧侶)はこれを唱えるにあたり,たいていその効用(功徳)について信じています。難解であることと術者が効用を信じていること,それが真正型呪文の特徴です。
他方,このふたつの特徴が完全には成り立たない種類の呪文もあります。それが普及型呪文です。よく知られたものとしては以下のものがあります。
(8) ちちんぷいぷい,イタイのイタイのとんでゆけぇー
この呪文,懐かしくないですか?
子どもが幼い頃,私もお世話になりました。「イタイのイタイのとんでゆけぇ」とやっておいて,「あっ,イタイの戻ってきた」と一度子どもを怖がらせる。そして,戻ってきた「イタイの」を手でとらえてパクッと「食べちゃった」というふうにアレンジしていました。これだけ入念にやりますと,子どもの気も紛れるというものです。
「気も紛れる」と書きましたが,この呪文で本当に痛さが治まるとはさすがに信じていませんでした。子どもを暗示にかける,もしくは,少なくとも痛さから気をそらすためのことばです。つまり,術者はその(1次的な)効能についてまじめには信じていません。
さらに,「ちちんぷいぷい」の部分は呪文らしく意味不明ですが(その由来については有力な説があります),その後の「イタイのイタイのとんでゆけぇ」は,はっきり意味がわかります。後半部分が呪文の効能を伝えるおかげで,何の呪文であるのか理解できます。この点が普及型呪文のもっとも重要な点です。
要するに,普及型呪文は,それが何の呪文か聞いた者に理解できるという特徴を持っています。しかも,とくに現実世界で唱えられる場合は,術者が効能についてまじめには信じていないことが多いのです。
この普及型呪文は,フィクションの世界においてよく観察されます。前回,例に挙げた「テクマクマヤコン」もこのパタンをなぞります。アッコちゃんは変身する際にコンパクトを出して,たとえば,こうやるわけです。
(9) テクマクマヤコン,テクマクマヤコン,レディー・ガガになぁーれ。
「テクマクマヤコン」は何のことやらよく分かりませんが,「レディー・ガガになぁーれ」なら,レディー・ガガに変身したいのだな,と誰にも理解できます。
次回はこの普及型呪文に見られる必然性について確認し,なぜ,フィクションにこのパタンがよく出現するのか考えてみましょう。