場面:蹴鞠(けまり)をする公達。
場所:ある貴族邸の南庭。
時節:陰暦3月のある日。
庭内:①鞠(毬) ②冠 ③括(くく)り紐 ④浅沓(あさぐつ) ⑤立て烏帽子(えぼし) ⑥僧綱襟(そうごうえり) ⑦檜扇(ひおうぎ)
建物:⑧高欄(こうらん) ⑨簀子(すのこ)
絵巻の場面 この場面は、何をしているのか、すぐにお分かりですね。男性たちが見上げる先に①「鞠」が描かれていますので、これは庭で蹴鞠をしているところです。春爛漫の時節は、蹴鞠にふさわしい頃でした。鞠は鹿皮で作られ、完全な球形ではなく、絵巻に見るように、中央部にくびれがあります。蹴鞠は勝ち負けを争うものではなく、鞠を地面に落とさないようにして、掛け声をかけあいながら他の人に次々と蹴り渡していく遊びです。ここがサッカーと大きく違いますが、足だけでリフティングを続けることとも言えます。ただし、蹴り足は、右に限ります。プレーする人は「鞠足(まりあし)」と呼び、この他にプレーを見届けるレフリーのような役をする「見証(けんぞ)」(人数不定)、介添え役の「野臥(のぶし。野伏とも)」が付きました。蹴鞠をする場所は「懸(かかり)」と言います。ひとまず、これだけのことを確認して、具体的に絵巻を見ながら、蹴鞠のことも理解していきましょう。
鞠足は何人か この絵で蹴鞠をする人、すなわち鞠足は何人いるでしょう。それを見分けられますか。正解は、8人のようです。ここには、13人の人が描かれていますが、全員がプレーしているわけではありません。
人物:[ア]男の童
[イ]・[キ]・[ス]冠直衣姿(かんむりのうしすがた)の貴族
[ウ]・[オ]・[カ]・[ク]・[ケ]・[コ]・[サ]・[シ]狩衣姿(かりぎぬすがた)の貴族
[エ]僧侶
[ア]は、頭に何も被(かぶ)らず髪を見せていますので、これは成人前の男の子、プレーするわけではありません。次に、[ケ]・[コ]・[サ]の三人に注目してみましょう。手には檜扇(ひおうぎ)[注1]を持っていますね。開いた扇を手にしていたのでは、プレーにさし障ります。ですから、この三人は「見証」役と見られますが、[ス]の人をその役とする説もあります。しかし、手紙らしきものを見ており、プレーに無関心です。[サ]の人物は、[シ]の男性に扇で何やら指示している趣ですので、やはり見証でしょう。そうしますと、[エ]の僧侶も含めて、残りの8人が鞠足ということになります。この8という数字を覚えておいてください。
木々の役目は 次に蹴鞠をしている場所について確認しましょう。男性たちは、なぜ木々の間で蹴鞠をしているのでしょう。サッカー場に木などは植えられていません。しかし、蹴鞠をする場には、木々が必要だったのです。この木々には幾つかの役目がありました。一番重要な役目は、フィールドとなる「懸」をはっきりさせるためでした。プレーする場があちこち移動してしまわないように、木々を目印にして場所を区切ったのです。広さは違いますが、サッカーで言えば、コーナーフラッグの役目をしたわけです。また、鞠を上方に蹴り上げる時、その高さは、いずれかの下枝以上とされました。高さの目安になったのです。さらに、鞠は枝にさわって思わぬ動きをしますが、それに応じて優雅にプレーすることが求められました。ここに技量が発揮されるのです。木々は、蹴鞠の場に必要だったのです。この木を「懸の木」と言いました。
懸の木とは それでは、木の種類を確認してみましょう。
Cは松、Eは柳に間違いありません。A・B・Dは同じように見えますが、幹の感じは、A・Bが同じで、Dとは違っています。そうしますと、A・Bは桜、Dは楓のようです。なぜ、楓かと言いますと、遊びであった蹴鞠が、鎌倉時代に行事として体裁が整った時に、懸の木が、楓も含めて図のように4本と定められ、「式木(しきのき)」とされたからです。
図の式木の配置と絵巻のそれとを比べてみてください。絵巻のAを除外し、Dを楓とすると、まったく同じような配置になります。絵巻の東西南北ははっきりしませんが、斜め右上が北とした場合です。平安時代末に成立した『年中行事絵巻』の頃に、すでに桜・松・柳・楓の取り合わせがあったことになります。また、木は4本が正式とされ、それぞれに2人ずつ鞠足が付くとされました。先にこの絵巻の鞠足を8人と考えたことも、これと符合するわけです。
なお、行事となった蹴鞠の場合、懸の木は、もともとその庭にあった木を利用するか、あるいは根のある木をわざわざ移植しました。それを「元木(もとき)」と呼び、根のない木を立てる時は「切立(きりたて)」と呼びました。現在でも、京都の上賀茂・下鴨神社や白峯神宮[注2]などで蹴鞠が行事として行われていますが、切立がされています。
《次回につづく》
注
- 檜の薄板を重ね、白い絹糸でとじた扇。
- 京都市上京区にある、崇徳天皇・淳仁天皇を祭る神社。蹴鞠で有名で、サッカーファンの聖地。