前回,呪文を真正型と普及型のふたつに分け,「イタイのイタイの」や「テクマクマヤコン」が普及型の呪文であることを見ました。普及型はフィクションの世界でたびたび登場します。たとえば,英語ではよく知られているabracadabraとhocus pocusは,こんなふうに使われています。
(10) a. Hocus pocus! Turn your best friend into a frog!(ホーカスポーカス! おまえの親友はカエルになーれ!)
b. Abracadabra! Your wife is home waiting for you with love in her heart.(アブラカダブラ! 嫁はおまえのことを愛おしく思いながら家で待っておるじゃろう。)
abracadabraやhocus pocusといった魔法呪文は,魔法をかけるにあたって最初に発せられ,その後にどのような魔法であったかが,その魔法の効能が具体的に述べられます。つまり,普及型呪文はたいてい次のような構造をとります。
(11) 呪術的前付け+効能説明
呪的前付けの部分は,「アブラカダブラ」や「テクマクマヤコン」のように,聞き手(観客)には意味がわからないものとなっています。そして,そのあとで当該の呪文が何を可能にするのか説明します。
ときに,この構造は順序が入れ替わることもあるようです。次の例は,足がしびれたときのおまじないで,提供者は45年ほど前に岡山県英田郡在住だった祖母から聞いたそうです。
(12) しーびれ,しーびれ,きょう[京]のーぼれー,あなたについてのーぼれ。なむあみおんけんそわか。
(12)は,いきなり効能説明ではじまります。しかし,しびれた足と額とを交互に触りながら,節をつけて歌うように唱えられので,前付け部分がなくともふつうのことばではなく,おまじないのことばであると聞き手には分かるわけです。ついでに言うと,「イタイの,イタイの」が「ちちんぷいぷい」なしで呪文として通用するのも,おそらく同様の理由によるでしょう。それから密教真言のようなおまじないのことば(「なむあみおんけんそわか」)を後付けして,その効能に念を押すというものです。(11)とは順序が違いますが,呪術的部分と効能説明からなる2部構造を取るという点では同じです。
この2部構造はとても理にかなったものです。どういうことか説明しましょう。
普及型呪文は,呪術のまじめな発動を意図していません。子どもを暗示にかけたり,フィクションの世界で魔法を観客・読者に対して演じたりする際に用いられます。つまり,呪術を発動するというよりも,聞き手や観客を志向する度合いの強いことばです。したがって,まず,呪的前付けによって呪文を唱えているという事実を聞き手・観客に明らかにします。そして,その後でその呪文がどのような意味を持つのかを説明するわけです。呪文の意味を説明することで,子どもは暗示にかかるわけですし,フィクションの世界で一体何の魔法が唱えられているのか理解できるわけです。
要するに,本来分かりにくいものである呪文を分かりやすく提示するためのもっとも素直な方法が,(11)の2部構造なのです。聞き手や観客に呪文であることを伝えつつ呪術を演じる普及型呪文は,このような理由でたいてい(11)のように分かりにくさと分かりやすさが同居する形式を持つことになります。
これに対し,呪術のまじめな発動を意図する真正型呪文の場合は,呪文の意味を説明しません。意味が誰にでもわかってしまうと,儀式として権威を欠いたり,ありがたみが失われたりすることになるからです。
これまでの考察で呪文には真正型と普及型のふたつがあることを確認しました。では,『ハリー・ポッター』の呪文はどのようになっているでしょうか。まずは,オリジナルの小説ではどうなっているか見ていくことにしましょう。