今回は、前回引用した『ウェブスター英語辞典』(1865年版)の「ART」の項目と、第56回で見た西先生による「術(art)」の説明について比べながら検討してみます。
まず、あちこち行き来する手間を省くため、検討の材料を改めて並べておきましょう。まずは「百学連環」で「術」の区別をしているくだり。
「術」にも二つの区別がある。つまり、Mechanical Art と Liberal Artの二つだ。原語に従うなら、「機械の術」と「上品の術」という意味だが、このように訳すのは適切とは言えない。それぞれ「技術」と「芸術」と訳してよいだろう。「技」とは、手足や体を働かせるという意味の字であり、例えば大工などのように身体を働かせるものはすべてこれに該当する。「芸」とは、精神を働かせるという意味であり、例えば詩や文章を作ることなどがすべてこれに該当する。mechanicalはtradeと同じである。つまり、「商い」という字だ。英語に Mechanical Art というものがある。これは「商売」のことである。
また、Useful Art と Polite Artという区別もある。
さらに、Industrious Art と Fine Arts という区別もある。このように、「術」についてはいろいろな語があるが、大まかには同じような意味であり、いずれにしても二つに区別されるということである。
(「百學連環」第17~19段落の現代語訳)
それから『ウェブスター英語辞典』はこうでした。
2. 〔アートとは〕特定の行為を容易に行えるようにする規則の体系である。「サイエンス」や理論に基づく原理とは対照的なもの。例えば、建築のアートや彫刻のアートなどがある。
☞アートは、「手芸(Useful)」「技術(mechanic)」「工芸(industrial)」と「芸術(liberal)」「美術(polite)」「美術(fine)」に分けられる。「技術(Mechanic arts)」とは、精神というよりは、もっぱら手や体に関わるもので、例えば服や日用品をつくることなどである。こうしたアートは「手仕事(trades)」とも呼ばれる。これに対して「芸術(Liberal Arts)」あるいは「美術(Polite Arts)」とは、もっぱら精神や想像力に関わるものであり、例えば詩や音楽や絵画など〔をつくること〕である。かつて「リベラル・アーツ」という言葉は、学問(sciences)や哲学、あるいはアカデミーでの教育の全系統(circle)などを意味するために用いられていた。このため、アートの学位といったり、アートの修士や学士号というものがあるのだ。
さて、両者をいま一度改めて見直してみると、どんなことが見えてくるでしょうか(『ウェブスター英語辞典』のことを、以下では「ウェブスター」と略記します)。
まず気づくのは、西先生は「術」の分類を、A) Mechanical & Liberal、B) Useful & Poilte、C) Industrial & Fineと対にしているのに対して、ウェブスターのほうではとりたてて対にしてはいないということです。
敢えて言えば、ウェブスターでは、useful、mechanic、industrialが同系列のようにこの順に並べられ、それに続いて別系統のようにしてliberal、polite、fineが並んでいることから、a) Useful & Liberal、b) Mechanic & Polite、c) Industrial & Fineという対を想定することはできます。
すると、西先生とウェブスターとで、対が一致しているのはCとcだけで、残りは入れ違いになっていることが分かります。
ただし、ウェブスターのほうでもそれに続く部分では、Mechanicに対して、Liberal or Politeと対応させています。取り扱いの大きさから言えば、PoliteよりはLiberalが主であるとも読めるでしょう。すると、ウェブスターはMechanicとLiberalを対にしているとも考えられます。
これは推測に過ぎませんが、西先生はこのMechanicとLiberalの対応を念頭に、上で見た「百学連環」での説明を組み立てたのではないかと思います。そして、六つあるアートの分類のうち、先に述べたようにCとcは一致していますから、残った二つを組み合わせると、これがBのようにUseful & Politeとなるわけです。
そのつもりで、西先生が講義のためにつくった覚書の該当箇所を覗いてみると、果たしてそのように六つの「術」が並べられている様子が見えます(下図)。
ついでに図を見ておくと、industriousの下にnuttige、fine artsの下にschoone kunsten、さらに行をかえてshöneと記されています。nuttigeはオランダ語で「有用な」といった意味、schoone kunstenは「ファイン・アート」つまり「美術」のことです。shöneは、ひょっとしたらドイツ語のschöne(美しい、美術))のことかもしれません。
いずれにしても「術」を、「体」によるものか、「精神」によるものか、という二つに大別している点で、西先生とウェブスターは一致しています。人間を体/精神という二つの要素で捉える心身二元論の考え方は、こんなところにもひょっこり顔を出しているわけです(実はこれが「百学連環」でも後に大きな問題となります)。
また、この区別が大事なのであって、上で検討したようなどれとどれが対であるかといったことは、講義の下敷きであるウェブスターの記述から考えても、二の次と見てよさそうです。
さて、次に面白いのは「mechanical」は「trade」と同義であると説明するところです。これもまたウェブスターに見える説明ですが、西先生は「trade」を「商売」と訳しています。「百学連環」の現代語訳では、「手仕事」と訳してみました。
ここでもう一つ目に留まるのは、ウェブスターでは一貫して「mechanic」と記しているのに対して、「百学連環」では「mechanical」と書いていることです。これは些細な違いではありますが、ちょっと気になります。
試しに先ほどの覚書〈図)を見てみると、そこには「mechanic & liberal」とありますね。ということは、西先生は『ウェブスター英語辞典』を調べて、手元の覚書には同辞典と同じように「mechanic」と記した。けれども、講義の際に「mechanical」と述べたか、この講義を筆記した永見がそう記したか。そんな経緯を想像してみることができます。
ついでのことながら、この大変似ている二つの言葉、mechanicとmechanicalを『オックスフォード英語辞典(OED)』で調べてみると、mechanicalのほうは15世紀の用例が出ており、mechanicのほうは最も古い用例がそれより100年下って16世紀です。
また、OEDのmechanicの項目にこんなことが記されています。
形容詞としては、MECHANICALに比べてずっと後になってから使われるようになった。使われ始めた時分は、いくぶんラテン語に近い感覚〔意味〕だった。
これらの語源に当たるラテン語はmechanicusです。語の形からいっても、mechanicのほうがラテン語に似ているというわけでしょう。
さて、ここではウェブスターの項目で、西先生が触れていないところまで訳出しておきましたが、そこに現れる「リベラル・アーツ」については、後ほど「百学連環」でも俎上に載せられることになります。
実は「リベラル・アーツ」とは、「百学連環」という言葉そのものとも深い関わりのあるものでした(例えば、第12回「円環をなした教養」を参照)。西先生の講義に沿いながら、追々改めて考えてみたいと思います。