経験の重要性を論じた後で、話はいま一度、文事に及びます。どんな議論か見てみましょう。
前にもいへる如く、眞理の目的を達するは文事にして、大に學術を助けて之か方略となり、媒となりて眞理を見出といへとも、又徒らに文字に沈溺するときは却て眞理を見出すの害となることあり。卽ち達磨{梁武帝時代天竺より入來る。}の説に不立文字と云ふあり。是ノ語の依て來る所は恐らくは古へ天竺釋迦の前ニ婆羅門{釋迦に至りて此説を破れり。}なる宗旨ありて、其學に八千頌と云ふ種々の詩文の如きもの許多〔あり〕しか、此等は却て煩雑、眞理を見出すの害となるを知るに依る所なるへし。
(「百學連環」第36段落第1文~第3文)
上記文中、{}に入れた文は、ポイントを落とした字で補足的に挿入された割り注を示します。本文の途中に挟まれていることもあるので、このように区別してみました。
では、現代語に訳してみます。
前にも述べたように、真理の目的を達するのは文事であって、学術をおおいに助けて、その手立てとなり、媒介となって、真理を見いだすに至る。しかし、いたずらに文字〔だけ〕に夢中になって深入りすれば、かえって真理を見いだす妨げとなることもある。達磨{梁の武帝時代にインドから来た}に「不立文字」という説がある。この語はどこに由来するか。インドで釈迦が現れる前に、バラモン{釈迦にいたってこの説を破った}という宗教があり、その学に「八千頌」という様々な詩文のようなものがたくさんあった。だが、これはかえって煩雑であり、真理を見いだす妨げとなったことを知っておそらくは、「不立文字」と言うに至ったのだろう。
学術を営む上では、文事、文字や文章は欠かせない手立てにして媒介である。こうした文章のメリットは、ここまでのところで十全に論じられていました。そこで今度は、いわば文事の問題点に注意が向けられています。
前々回と前回とで、経験や実証の重要性が説かれたわけですが、その際、文事だけで学術をすれば空理に走ってしまう恐れもあるという指摘がありましたね。ここでもその議論を受けて、さらに文事の問題点が俎上に載せられているわけです。
「不立文字」とはまさにその象徴のような言葉です。インドから、南北朝時代の中国に来た菩提達磨(Bodhi-Dharma)は、禅宗の祖とされる人物で、「不立文字」は彼に帰される言葉でした。
例えば、鎌倉時代に凝然(1240-1321)が書いた『八宗綱要』には「達磨西来、不立文字、直指人心、見性成仏」と見えます。鎌田茂雄氏の訳をお借りすれば、「達磨が中国へ来て禅宗を伝えた。その教えは文字によることなく、直ちに人心を見て、自己の本性を徹見して成仏することを説いた」となります。
文字を立てずに、人の心を直に指す。文字を媒介すると、媒介物であったはずの文字に囚われてしまって、その文字で表していたはずの人心をかえって悟りがたい。だから、文字を媒介せずに、直に人心に向き合え、とでもなりましょうか。
「直指人心」とは、それ自体たいそう難しそうなことであります。そこで、禅の理解にはよい譬えではありませんが、こんな例を並べてみたいと思います。料理をする際、レシピに記された分量を正確に守ろうとするあまり、実際に調理されつつある料理の味を確かめないとどうなるか。最終的に自分にとっておいしくないもの(味が濃すぎるなど)ができてしまうかもしれません。大切なことは、レシピに書かれていることではなくて、目の前でできあがりつつある料理の味そのものです。もちろん、言葉で説明されなければ、料理のしようもありませんが、さりとてレシピ通りで万事OKというわけにもいかないという次第です。
さて、西先生は、不立文字の話に続けて、なぜそんなことが言われ出したのかという理由を推測していますね。要するに、言葉ばかりが繁茂して、その影でかえって真理が見えなくなってしまうということがあったからだろうというわけです。実は、上で引用した『八宗綱要』の文章はこう続きます。訳文と共に示してみます。
達磨西来、不立文字、直指人心、見性成仏、不同余宗森森万法相違法義、重重扣論。
達磨が中国へ来て禅宗を伝えた。その教えは文字によることなく、直ちに人心を見て、自己の本性を徹見して成仏することを説いた。他の諸宗のように五位七十五法とか百法というように煩雑な法相をたてて、それぞれの差別を明らかにしたり、三性三無性とか一念三千とか十重唯識などというような複雑な議論を立てるのとはまったく別である。
(凝然大徳『八宗綱要』鎌田茂雄全訳注、講談社学術文庫、pp. 433-434)
凝然が禅宗と比較しているのはバラモン教でこそありませんが、結果的には同じようなことを述べていることが分かります。いずれにしても、不立文字とは、文字に頼り過ぎた状況に対する批判でもあったという見立てでした。いったい西先生の議論は、どこへ向かってゆくのでしょうか。