日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第59回 謝辞欄について

筆者:
2014年5月4日

日本語社会における文化的制約の3種,具体的には「掟」「マナー」「お手本」を紹介し(補遺第52回第54回),「掟」に関する表現を見てきた(補遺第55回第58回)。次に,「マナー」に関する表現を見てみよう。

念のため言っておくと,ここで「マナー」と呼んでいるのは,「これこれの行為は,これこれこのような形でおこなうべし」というもので(第52回),日常語としての「マナー」とそう変わらない。だが,ここで言う「マナー」は,状況ごとに設定されるという点では日常語「マナー」と違っている。たとえば,「のろのろ歩く」のはここで言う「マナー」違反に当たる。「その一帯は早く歩くものだ」と決まっている必要はない。ただ話し手が「その状況はもっと早く歩くべき状況」と見て取りさえすれば,そのゆっくりした足取りは「マナー」違反として「のろのろ」と表現される。

美の女神が降臨して「ゆっくり歩く」のは構わないが,「のろのろ歩く」ならそれは美の女神ではなくニセ者になってしまうというように,「マナー」違反の表現は,その動作を行う者の「品」や「格」の値を「並」か「並以下」にする。

そして,私が声を大にして言いたいのは,辞書にはこういう記述がどうも欠けているということである。たとえば,「宇宙人との歴史的対話を前にして,大統領はさすがに緊張,不安や恐怖心で落ち着かない様子だ」と言うのはいいとしても,「宇宙人との歴史的対話を前にして,大統領はさすがにおどおどしている」というのは,大統領たる人の「格」を低めてしまっている,ちょっと無礼な発言ということになるだろう。つまり「おどおど」という語の意味を「緊張,不安や恐怖心で落ち着かないさま」などと心情や態度だけで説明しても十分ではない。「「格」の高くない者が」緊張,不安や恐怖心で落ち着かないと,その者のキャラクタをも記述すべきではないか。美の女神や大統領が「おずおず」「まごまご」「こそこそ」「ひょこひょこ」「きょときょと」「うろちょろ」「もたもた」するのかどうかを考えてみれば,類例が少なくないことがわかるだろう。

と書いてきて思い出されるのは,教え子だった留学生の博士論文である。謝辞欄に「筆者の間違いをいちいち直してくださった定延利之先生に深謝……」とあったのにはまいった。「いちいち直して」では,その直しが良くないものだったというだけでなく,私も「品」や「格」が並み以下のダメ男,ということになってしまう。それを言うなら,「いちいち」ではなく,「ひとつひとつ」だろうが。

留学生が日本語論文を提出する際には,事前に日本語母語話者にチェックしてもらうのが通例である。だが,チェックしてもらった人への謝辞までをチェックしてもらうというのはさすがに気が引け,謝辞欄だけは誰にもチェックしてもらわず独力で書くという留学生が多い。この人は日本語の学習においても文法の研究においても非常に優秀な人で,この博士論文もその後改訂されて日本で出版されているのだが,こんな人であっても,博士論文執筆当時は「いちいち」については理解が十分ではなかったということになる。それは,この語の意味が辞書に「多くあるものを一つずつ」などとしか載っていないことと関係しているのではないだろうか。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。