日本語社会における文化的制約の3種,具体的には「掟」「マナー」「お手本」を紹介し(補遺第52回~第54回),「掟」に関する表現を見てきた(補遺第55回~第58回)。次に,「マナー」に関する表現を見てみよう。
念のため言っておくと,ここで「マナー」と呼んでいるのは,「これこれの行為は,これこれこのような形でおこなうべし」というもので(第52回),日常語としての「マナー」とそう変わらない。だが,ここで言う「マナー」は,状況ごとに設定されるという点では日常語「マナー」と違っている。たとえば,「のろのろ歩く」のはここで言う「マナー」違反に当たる。「その一帯は早く歩くものだ」と決まっている必要はない。ただ話し手が「その状況はもっと早く歩くべき状況」と見て取りさえすれば,そのゆっくりした足取りは「マナー」違反として「のろのろ」と表現される。
美の女神が降臨して「ゆっくり歩く」のは構わないが,「のろのろ歩く」ならそれは美の女神ではなくニセ者になってしまうというように,「マナー」違反の表現は,その動作を行う者の「品」や「格」の値を「並」か「並以下」にする。
そして,私が声を大にして言いたいのは,辞書にはこういう記述がどうも欠けているということである。たとえば,「宇宙人との歴史的対話を前にして,大統領はさすがに緊張,不安や恐怖心で落ち着かない様子だ」と言うのはいいとしても,「宇宙人との歴史的対話を前にして,大統領はさすがにおどおどしている」というのは,大統領たる人の「格」を低めてしまっている,ちょっと無礼な発言ということになるだろう。つまり「おどおど」という語の意味を「緊張,不安や恐怖心で落ち着かないさま」などと心情や態度だけで説明しても十分ではない。「「格」の高くない者が」緊張,不安や恐怖心で落ち着かないと,その者のキャラクタをも記述すべきではないか。美の女神や大統領が「おずおず」「まごまご」「こそこそ」「ひょこひょこ」「きょときょと」「うろちょろ」「もたもた」するのかどうかを考えてみれば,類例が少なくないことがわかるだろう。
と書いてきて思い出されるのは,教え子だった留学生の博士論文である。謝辞欄に「筆者の間違いをいちいち直してくださった定延利之先生に深謝……」とあったのにはまいった。「いちいち直して」では,その直しが良くないものだったというだけでなく,私も「品」や「格」が並み以下のダメ男,ということになってしまう。それを言うなら,「いちいち」ではなく,「ひとつひとつ」だろうが。
留学生が日本語論文を提出する際には,事前に日本語母語話者にチェックしてもらうのが通例である。だが,チェックしてもらった人への謝辞までをチェックしてもらうというのはさすがに気が引け,謝辞欄だけは誰にもチェックしてもらわず独力で書くという留学生が多い。この人は日本語の学習においても文法の研究においても非常に優秀な人で,この博士論文もその後改訂されて日本で出版されているのだが,こんな人であっても,博士論文執筆当時は「いちいち」については理解が十分ではなかったということになる。それは,この語の意味が辞書に「多くあるものを一つずつ」などとしか載っていないことと関係しているのではないだろうか。