オバマ氏の “Yes, we can!” が流行りかけ、たちまち凋んだようだが、その演説は「私(I)」ではなく「我々(we)」と呼びかけることを指摘する向きがあった。確かに選挙勝利演説2350語ほどのうち「私」は2‰足らず「我々」は26‰、一方6000語強の議会初演説では「私」が少し増えて12‰強、「我々」は18.5‰で、やはりオレ系は少し凹んでいる。こんな事が気になったのは、偶々ゲーテの『詩と真実』とシュレーバーの『ある神経症者の回想』の文体を並行して分析していたためだろう。後者Daniel Paul Schreber (1842~1911) は往時のザクセン王国判事の職にあるとき神経(精神?)に異常をきたし入院・隔離と復職・復権を繰り返して一種独特の体験記を書いたが、披見したS・フロイトが彼一流の解釈をし、今でも論議の的になっているためか、和訳すら存在している。原文は “z.B.” 、“u.s.w.” 、”wie” 、あるいは自己文の参照が多く、変に固まった閉鎖的な文体、といった印象をうけるが、この点は口述筆記を基盤にするゲーテと対照的であるのも当然であろう。細かなことは別にしてオバマ氏の例とからめ「私 “ich”」の使用率をみると、部分的に極めて高いことはあっても平均すると極端に高いわけではなかった。とりあえず一人称散文の代表として、ゾイメの自伝、ハイネの『思い出』、ビスマルクの自伝(一部)、それに無名氏の奇妙な小説『夜警』などを対照にとりあげて比較してみたのだが、シュレーバーは約21‰、ゲーテやビスマルクの16‰台にくらべれば高いが、ゾイメ(24‰)より低く、またハイネは抜群に低い(9‰弱)。ついでながら一般に接続詞 “und” の使用率は40‰前後を示すが、シュレーバーはこれが例外的に低く(16‰弱)、断断乎たる文を書くビスマルク(30‰)よりはるかに低い。「そして」ばかりでは小学生の文章だが、少なすぎると息苦しい感じを与えるように思われる。これが神経症や判事職と関連すると言いきれれば話しは面白いのだが、事はそう簡単ではない。
それにしても、古典語はさておき、人称代名詞が少なく安定しているヨーロッパの言語系にくらべると、日本語はなんともややこしいようだ。オレ、ワレ、ワイ、ワテ、おいら、わた(く)し(私)、わらは(妾)、あたし、あたい、あて、あっち、手前、それがし、やつがれ、余、予(輩)、自分、僕に拙者に我輩、おのれ(己)、古代ならば、あ・わ(吾、我)、ロドリゲスは17世紀初頭日本語の1人称を ”Vale” と転記、等等、1人称だけちょっと思い出しても結構な数で、おまけにワレやオノレなど状況次第で2人称にもなる。これを豊かとみることもできるし、「オレが、オレが」の嫌な社会になりにくい幸運な傍証ということもできるかもしれないが、自我ないし個の自覚の成立しにくい社会言語機構的表出かもしれず、『我と汝』などと簡明に省察するもかなわず、「オレオレ詐欺」に結構はまりやすい社会なのかもしれない……、まぁ下手な考察休むに似たりか。
実は現代日本語成立期の文学をぽつぽつ読み直すうち、「此乾坤の功徳は『不如帰』や『金色夜叉』の功徳ではない」という啖呵に共鳴し、これまで読まずに馬鹿にしていた『金色夜叉』に一応目を通してみたところ、「彼」がもっぱら「寛一」ではなく「宮さん」を指していること(そういえば漱石にも「彼」が女性を指す例もある)、そのうち「彼(か)の女」が「彼女」に、戦後中学生は「カノジョ」という音の響きに何となく胸ときめかした?となれば当節の小娘たちが「カレシー」などというのもまた宜なるかな、と、これ老の慨嘆。
注:‰ パー・ミル(per mill、千分率、プロミルとも)