動詞「たくらむ」のように,「掟」を破る『悪者』キャラの動作を専用に描くことばは有る(補遺第55回)。また,「一味」のように,『悪者』キャラそのものを描くことばも有る(補遺第56回)。その一方で,『悪者』キャラ専用のセリフつまり役割語は基本的に無い。我々が『悪者』キャラの役割語と考えがちな「げっへへ,これでよぉ,~できるってぇ寸法だぜ」などのセリフは,実は『悪者』キャラではなく『下品』キャラの役割語である。前回はこのことを確認した上で,「警察」を意味する「サツ」のような犯罪者の隠語,といっても私が知っているぐらいだから現実の犯罪者たちはまず口にするはずはなく,せいぜい芝居の中での犯罪者の隠語といったものに過ぎないが,そのような隠語が例外的に『悪者』キャラの役割語と考えられるということを付け足した。
付け足しついでに言えば,例外的な存在である犯罪者の隠語の中でも,逃走を表す「ずらかる」ということばは,特異な位置を占めている。
まず断っておくと,「ずらかる」は『下品』キャラの話し手の役割語と重なる部分も多いが,一応は犯罪者の隠語と考えてよいだろう。駆けつけた警察に,その場に残っていた者が「一足遅かったな。犯人はもうみんな逃げた」と言うのはいいが,いくら『下品』キャラだからといって「一足遅かったな。犯人はもうみんなずらかった」と言えば,「おまえだけ逃げ遅れただろう」となりかねないからである。つまり「ずらかる」は犯罪者の隠語で,『悪者』キャラの話し手の役割語である。
さて,ここで示したいことは,この「ずらかる」が,話し手だけでなく,描かれ手(つまり逃走者)に関しても制限を持っているということである。たとえば,『悪者』キャラの話し手が仲間に「サツが来やがった。ずらかるぞ」などと言うのはいい。だが,「サツめ,俺たちを多勢と見て,ずらかりやがったな」などと言うのは,なにかおかしい。「ずらかりやがったな」では警察がまるで『悪者』のようである。
「ずらかる」主体は,話し手(『悪者』)の「一味」である必要もない。極端な話,たとえば「あの野郎,ここへおびき寄せて,叔父貴のカタキをとってやろうと思ったが,どうも勘づいてずらかりやがったな」が自然であるように,敵対していてもよく,ただ『悪者』でありさえすればいい。
結果として「ずらかる」は,『悪者』キャラの役割語と,『悪者』キャラの動作表現を兼ねている。『悪者』による,『悪者』のためのことば,それが「ずらかる」である。