日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第57回 犯罪者の隠語について

筆者:
2014年4月6日

「『悪者』キャラの役割語は?」という問いは,ずっと昔に答えた問いである。この問いを再び持ち出すのはなぜか? ちょっとした補足があるからである。

かつて私は,発話キャラクタに「善悪」の観点は必要ないのではないか,と述べた(本編第73回)。この考えはいまも変わっていない。たとえば,罪もない市民を殺せると喜ぶ悪の発話(1)にしても,罪もない市民を救えると喜ぶ善の発話(2)にしても,

(1) げっへへ,これでよぉ,罪もない市民をよぉ,殺せるってぇ寸法だぜ。
(2) げっへへ,これでよぉ,罪もない市民をよぉ,救えるってぇ寸法だぜ。

しゃべり方としては『下品で,格が極端に高くはない,年輩の男』あたりのしゃべり方であって,善悪による違いはない。そりゃあ芝居の中で,見るからに凶相の男がダミ声でしゃべるなら,(2)よりは(1)をしゃべる方が落ち着くかもしれないが,(2)をしゃべったところで観客は「ふーん。こいつ,意外に『いいもの』なんだ」と納得するだけの話であり,「不自然」ではない。つまり『悪人』特有のしゃべり方というものはない。

但し,ごく僅かではあるが犯罪者の隠語はこの例外になるというのが今回補足したいことである。現代日本語社会において警察を意味する犯罪者の隠語として普及・定着している「サツ」という言葉を例にとれば,犯罪者にかぎって警察のことを「サツ」と言うのであるから,「サツ」は『悪者』の役割語ということになる。

しかしねえ。「サツ」ということばが犯罪者の隠語だと知れ渡っているこのご時世に,どこの犯罪者どもが警察のことを「サツ」などと言い合うかねぇ。会話をひとこと立ち聞きされただけで,犯罪者だと悟られ,通報されてしまうじゃないの。私が泥棒だったら,「サツ」なんていう隠語は絶対に使わないね。

犯罪者の隠語にかぎらず,どこの業界の隠語でも,一般に広く知られる段階になったらもう終わりで,こっそり別の言葉に置き換えられるのではないだろうか。いまどき犯罪者が「サツ」と言うなんて,それこそ芝居の中だけの話ではないか。

多分そうだろう。だが,ここでは「サツ」のような隠語を『悪者』の役割語として認めておく。その理由は,次のとおりである。

上に述べたように,「『悪者』は『下品で,格が極端に高くはない,年輩の男』あたり」という「お約束」は,芝居の中でも違反可能で,つまり傾向以上のものではない。舞台の上で,凶相の男がダミ声で「げっへへ,これで罪もない市民を救えるってぇ寸法」としゃべっても不自然ではない。まして現実世界では,そういうことはいくらでもあるだろう。だが,これとは違って,「警察を「サツ」と呼ぶのは『悪者』」という「お約束」は違反不可能である。芝居の中で罪もない善良な市民が警察を「サツ」と呼ぶのは,「悪ぶっている」という文脈でもないかぎり不自然で,まして現実世界では不自然である。芝居じみた「お約束」であることに違いはないが,後者の「お約束」だけを例外として認めるのは,こういうわけである。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。