「『悪者』キャラの役割語は?」という問いは,ずっと昔に答えた問いである。この問いを再び持ち出すのはなぜか? ちょっとした補足があるからである。
かつて私は,発話キャラクタに「善悪」の観点は必要ないのではないか,と述べた(本編第73回)。この考えはいまも変わっていない。たとえば,罪もない市民を殺せると喜ぶ悪の発話(1)にしても,罪もない市民を救えると喜ぶ善の発話(2)にしても,
(1) げっへへ,これでよぉ,罪もない市民をよぉ,殺せるってぇ寸法だぜ。 (2) げっへへ,これでよぉ,罪もない市民をよぉ,救えるってぇ寸法だぜ。
しゃべり方としては『下品で,格が極端に高くはない,年輩の男』あたりのしゃべり方であって,善悪による違いはない。そりゃあ芝居の中で,見るからに凶相の男がダミ声でしゃべるなら,(2)よりは(1)をしゃべる方が落ち着くかもしれないが,(2)をしゃべったところで観客は「ふーん。こいつ,意外に『いいもの』なんだ」と納得するだけの話であり,「不自然」ではない。つまり『悪人』特有のしゃべり方というものはない。
但し,ごく僅かではあるが犯罪者の隠語はこの例外になるというのが今回補足したいことである。現代日本語社会において警察を意味する犯罪者の隠語として普及・定着している「サツ」という言葉を例にとれば,犯罪者にかぎって警察のことを「サツ」と言うのであるから,「サツ」は『悪者』の役割語ということになる。
しかしねえ。「サツ」ということばが犯罪者の隠語だと知れ渡っているこのご時世に,どこの犯罪者どもが警察のことを「サツ」などと言い合うかねぇ。会話をひとこと立ち聞きされただけで,犯罪者だと悟られ,通報されてしまうじゃないの。私が泥棒だったら,「サツ」なんていう隠語は絶対に使わないね。
犯罪者の隠語にかぎらず,どこの業界の隠語でも,一般に広く知られる段階になったらもう終わりで,こっそり別の言葉に置き換えられるのではないだろうか。いまどき犯罪者が「サツ」と言うなんて,それこそ芝居の中だけの話ではないか。
多分そうだろう。だが,ここでは「サツ」のような隠語を『悪者』の役割語として認めておく。その理由は,次のとおりである。
上に述べたように,「『悪者』は『下品で,格が極端に高くはない,年輩の男』あたり」という「お約束」は,芝居の中でも違反可能で,つまり傾向以上のものではない。舞台の上で,凶相の男がダミ声で「げっへへ,これで罪もない市民を救えるってぇ寸法」としゃべっても不自然ではない。まして現実世界では,そういうことはいくらでもあるだろう。だが,これとは違って,「警察を「サツ」と呼ぶのは『悪者』」という「お約束」は違反不可能である。芝居の中で罪もない善良な市民が警察を「サツ」と呼ぶのは,「悪ぶっている」という文脈でもないかぎり不自然で,まして現実世界では不自然である。芝居じみた「お約束」であることに違いはないが,後者の「お約束」だけを例外として認めるのは,こういうわけである。