戦前に、ブラジルで行われていた貨幣単位「ミル・レイス(レース・レーイス)」は、そのポルトガル語でmilが1000を意味することから「」という字で書かれたことがあった。まだ、「伯剌西爾」という表記が流通していた当時、日本とは地球の裏側にあるような外国の地で印刷された邦字新聞に、これが活字で印刷されているのを見たことがある。日系人の間の一種の「国字」なのであった。あるいは根底には、貨幣単位の「銭」(セン)の部首や発音、意味などに基づくところもあったのだろうか。何とか漢字1字で貨幣単位を表記しようと言う意識が、こうした苦心作を生み出したのであろう。
ベトナムは、第61回でも触れたとおり「ドン」が通貨の単位となっている。これは漢字圏において、さすがに「圓」とは別系統の語であった。かつて銅貨を用いていたところから、「銅」のベトナム漢字音による漢越語「ドン」(đồng)が、そのまま通貨単位となっているのであり、通貨記号は「₫」とされている。[d]という音を表すために「d」の上部に横線を貫いたものがチュークオックグーと呼ばれるベトナム語のローマ字ですでに用いているために、下線を引くことで、両者を区別しているようだ。
ベトナムのドンという言い方などからみて、日本語ではそれが「銅」という字の漢字音であったことは忘れ去られ、「ドン」と現地の発音をほぼそのままに外来語として受け入れていることが明白だ。韓国では「동」と元の漢字「銅」のように読んでいる。ここには漢字音主義のなごりがあるのだろうか。そして中国では、何と「盾」(dung4 ドゥン)という字で表現されている。漢語に対して、別の漢字を当てているかのようである。声調は似ているが、韻母に「ong」と「un」の差があり、「音訳」とされると気に掛かってしまう。インドネシアのルピアなども、中国語では「盾」と訳されるので、あるいはかつてのギルダー(これは漢和辞典などでお馴染みの「訓」)に対する訳語が転用されているという可能性はないだろうか。
日本では株式市場などで、「円」の下に「銭」(セン)という単位がときおり登場する。このように、漢字圏各国では通貨に補助単位も存在している。たとえば、香港の「港元」の「仙」は、ドルの下のセントへの当て字によるものだろう。そうすると日本の「銭」と共通点が現れてくる。ここでも大隈重信侯(公)が、ドルの下のセントの発音に合わせた機知で、江戸時代の「銭」をそのまま採用させて定着に一役買った、との話が伝えられている。韓国でも「銭」(チョン)があったが、中国からの直接の影響ではなかったとすれば、セントの影響は、そこまで広まったということになる。
単位や補助単位がさらに異称・異表記をもつこともある。それぞれに来歴があり、互いに共通点・相違点があるのだが、使われる機会が減っており、また話がどこまでもややこしくなっていく。さらに、マカオ(澳門)地区で行われる貨幣もある。マカオでは香港ドルも流通しているそうだが、パカタつまり澳門幣は澳門元、葡幣とも呼ばれ、その単位「圓」(圆)は広東語ではやはり「蚊」となり、その1/100が「仙」である。また、ベトナムではかつてピアストルを使っていた時期があった。それは銀を意味するバク(bạc)で表現され、チュノムで書くと形声文字で、「鉑:」となり、近代中国でのプラチナという元素への訳字とたまたま字体が一致している。そうしたことなど、気にかかることは尽きない。しかし、新年度に入ったのにお金の話をあまりに続けるのも何なので、もうこのくらいにしておこう。